文世さんに逢いたい

婆猫ふみちゃんが逝って、もう15年。
今は自分が人生休止中。ミライは10歳シニア猫です。

派遣歴長し。
限界を感じました。

2011年03月

文世ノート

  2009年になってから、ふみ用の日記を書き始めた。
  その日食べたゴハン(猫缶の種類も明記)と量。
  ゴハンに混ぜた薬の種類(腎不全用か癌用か)。
  トイレでの大・小(現実には馴染みのトイレまで行けず、
  居間と廊下に敷き詰めたシートの上で頑張っていた)。
  ―― 毎日、時間単位で記録するようにした。

  癌の判明は前年の5月なのだから、
  “闘病記”をつけるにはあまりに遅い。
  今でも、もっともっと早期に始めるべきだったと悔いている。
  ただ…なんというか…病状が進行しながらも、
  心のどこかで『奇蹟』を信じてたんだよね。
  腫瘍が消える…あるいは
  消えるなんて事は無理でも、長く生きられるとか…

  日記は、1月中はけっこう整然と書いていた。
  時間がない場合は、メモに走り書きをしておいて、
  後でノートに写す。
  でも、2月に入ってからはノートに清書する余裕が
  みるみる無くなっていった。
  病状悪化の速さについていけず、
  ノートの記載より、走り書きのメモのほうが増えていく。

  後でノートにちゃんと記録するつもりでいた。
  “後”って、いつ…?

  ふみが煙になり、無人の部屋に戻ると
  彼女専用の生活用品と共に、ノートが残っていた。
  頁の間にはさんだメモの量が随分ある。
  見直すことができなかった。
  当然、ノートへの転記もまるでやってない。
  この2年、一度も開いていないノートだ。
  いつか、いつか、泣きながらでも完成させよう。
  確約はできないんだけどさ…ふみちゃん。


    ふみ勝負顔
 
  

雨は雪に 雪は清流に

  やっぱり6時に目が覚めた。
  雨音の影響もあるだろうけれど、
  これは、ふみが鳴いて私を起こした時刻だ。

  布団の中で天井を見つめたまま、
  ふみの呼吸が停まった時間まで、
  雨音に耳を傾けていた。

  昼近くに、雨は雪に変わっていた。
  ふみと最後に見た雪景色を思い出したら、
  泣くのをやめることができなくなってしまった。


  モノトーンの世界

  

暁を待つ

     もし朝が来たら
     老人は養老院を出て
     もう一度自分の仕事を探しにいくつもりだった

     苦しみは変わらない
     変わるのは希望だけ
     という言葉のために

     だが
     もう朝は来ない


  上記の詩は、寺山修司の『旅路の果て』の一部だ。
  (いや~この7年の間に、わたしゃ何回
   この詩を引用してるんだぁ…)

  ふみに、朝は来たんだよ。
  でもそれは、「生きるための朝」ではなかった。
  私たちと別れるための朝だった。

  2年が経とうとしていてもね、
  私はまだ、自分が夜の中にいる気がしてならない。
  いつかは、いつかは朝が訪れるんだろうか。
  苦しみとか哀しみも変容して…


  カーテンが汚い

弥生に降る泪

  年が明けてからずっと、スーパーやコンビニで
  食品の類を買うたびに、“賞味期限”の日付を見つめてた。
  別に、自分の胃袋に入れるモノだからって理由で、
  日付を気にしていた訳じゃない。
  だって、以前気づかずに「一週間過ぎた」牛乳を
  たっぷり飲んだ時も、この胃腸は“鉄人”だったもん。
  (自慢することか?哀しいぜぇ…)

  賞味期限として刻印された日付を見るたびに、
  『近づいてる』ことを、噛みしめてたんだ。
  1月、2月、そしてもう3月。
  
  今年は春が早いのだかどうだか判んない。
  でも、確実に3月7日はやってくる。
  時間は、裏切ることなく、必ず訪れるんだね。
  たとえ約束していなくても…

  あ、ふみとの約束。
  ふみは憶えていてくれてるだろうか。
  ずっと一緒だよ。
  ずっと一緒だよ、ずっと…


    枕が楽です
プロフィール

あつぶこ


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