文世さんに逢いたい

「婆猫ふみちゃんのスローライフ」を綴りたくて、 2004年から始めたブログですが、
ふみは2009年3月に19歳10か月で逝きました。

2011年11月

いいふみ わるいふみ

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                   ※ 11/23に書くつもりだった日記です

  人間の子供にしても、大野くんにしても、
  (人間と猫を同列にしては失礼かもしれないが…)
  起きている時どんなに手のかかるコだって、
  その寝姿はたとえようもなく愛しい。

  ふみは、15歳を過ぎた頃から
  日に20時間は寝てたんじゃないかと思う。
  老化と腎機能低下で、だいぶしんどかっただろう。
  起きて活動するより、寝ているほうが楽だったに違いない。
  
  (自分自身を振り返ってみると、
  10代の頃から「睡眠が何よりの幸せ」だった)


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                   ↓
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    注) 下のほうの写真は加工したものではありません。
       夕方から数時間、同じ姿勢のまま寝続ける…

   寝姿、とりわけ爆睡こいてる時の様子は
  可愛いよねぇ… 
  寝言やいびきも愛しいもんだ 

  反対に、大変困ったのは、その強情さ。
  自分の要求を通す事に関しては執拗で、
  あっさり引き下がるなんて姿勢は、
  ふみの中に全くなかったんでしょうな。

  (関東が)寒気に支配されつつある今時分でも、
  「外に出たい」気持ちになったら、断固要求。
  早朝だろうが深夜だろうが、出たいったら出たい。
   風邪をひいたら一大事の婆さんなんだし、
  ガラス戸を開けておく人間のほうも寒いんだよね。

  数々のわがままエピソードを今掘り起こしながら、
  胸に拡がっていくのは“愛おしさ”だ。
  気難しいキミに、ずっとつき合っていたかったよ。

やさしい花

   師走の背中がもう目の前だ。
  来年の手帳やカレンダーが並ぶ店先で、
  今年眺めた花を、思い出せずにいる。

  たんぽぽの綿毛は、いつもの年と同じように、
  晩春の空き地を飛んでいっていたのだろうか。
  思い詰め、途方に暮れるうちに季節が過ぎていく。
  
  部屋に居ても、道を歩いていても
  ふみの声が聞こえる。
  「ずっと一緒だよ、って云ったじゃない。
   独りにしないって約束したじゃない」

  ふみは執念深いからなぁ…嫉妬心と独占欲の塊で…
  時間の経過とか、言い訳とか、彼女には通用しない。

  ふみと過ごした“時”と空気が、
  殺伐とした私の空き地人生に色を与えてくれた。
  ふみが生き抜いてくれたおかげで、
  この先何年も考える「課題」を貰った気がするよ。

  「ありがとう」って、ちゃんと逢って云うから。
  待っていてほしい、あと少し。
  ふみに逢うためには、「よく生きる」ことが必要だって、
  ぼんやり気づいてきたんだ( ボンヤリかいっ!)。

  今、私の傍らには大野くんという“未来”が居ます。
  大野くんと歩いていった先、
  未来にはふみの姿が在ると信じています 


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                 ( 『やさしい花』 奥 華子 )

   どこに向かえばいいのか 迷い探して歩いた日々
   君がくれた白い花が 何よりも優しく見えたんだ
  
   君が願う人になりたくて 僕はずっと歩いてきた

   愛する人を守れるように 人は生きてゆくのかな
   僕の未来に 僕の答えがあると信じている
      (略)
   君を守る人になりたいと ずっとそばで歩きたいと

   流れる雲に想いを乗せて 君に届けにゆきたい
   いつか僕らが描いた夢を 叶えるその日まで

   声にならない想いを胸に 人は生きてゆくのかな
   誰かのために やさしい花を 探しているのかな

   愛する人を守れるように 強く強く生きたいよ
   僕の未来に 君の姿があると信じている

   声にならない想いを胸に 人は生きてゆくのかな
   僕は君への やさしい花を 探して生きてゆく

空地と人と猫

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   とうの昔に、カエルの鳴き声は絶えている。
   開発、更に開発…という勢いを受け、
   田畑がすっかり喪われたから 
    自分が棲んでいるこの場所も、
   彼ら(蛙を含む多くの生き物・自然)の犠牲の上に
   成り立っているんだろうな。

   土の地面が少ない。
   公園でさえ、石やレンガが敷き詰められている所が多く、
   “大地”に一番近いとしたら、砂場ぐらいなのか?
   (その砂場も、猫よけ目的か、ネットがかかってるけど)

    「緑を大切に」と考えるなら、
   もっと土の部分を増やしてほしいな。
   雑草だって、大切な自然の一部だと思うし…


   ―― と、喘息の発作で寝込んだ後、
   近所をぶらついてみて思った。
   近年減るばかりの空き地。
   僅かに残っている空き地の横を通ったら、
   セイタカアワダチソウとススキが繁ってた。
   
   空き地が、土が減ると、猫たちの居場所がなくなるよ。
   もちろん、実は、人間だって同じだと思うんだ。

    喘息の発作を起こしたり、
   皮膚炎で醜い自分の手を見るたび、
   ふみのことをいっそう考える。
   皮膚が弱くて、よく全身「毛刈り」をしていた。
   彼女もアレルギー体質だったって事みたい。

   毛を刈られた姿を笑っちゃって、ごめんなさい。
   猫は美意識の強い生き物だから、
   きっと随分傷ついたと思うんだ… 

ホスピス hospice

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   未修整の写真なんで、なんか背景が汚いまんまだが、
   どうやらブログで未使用みたいなので、アップ
   (彼女は何故、よく片手を握りしめているのか?)

   “傾聴”という言葉を、5年前に初めて知った。
   カウンセリング等で重要とされる手法、姿勢の一つだという。
   意味は文字通り、ひたすら相手の話を聴く。
   相手の言葉ひいては心に、一所懸命耳を傾ける。

   占いを趣味にしている(実は開業するのが夢 )私は、
   カウンセリングの技法というものに興味がある。
   カウンセラーの方々には失礼にあたるかもしれないが、
   占う姿勢には「カウンセリング・マインド」も必要じゃないかと…。
 
   それで、時おり知人のカウンセラーと歓談したり、
   ワークショップに参加しては勉強させてもらっている
   (やはり、姿勢として中途半端である事は否めない)。

   先日参加した傾聴の勉強会で、
   緩和ケア(終末医療)に従事するドクターの言葉を知った。
   死を迎えようとする患者に対し、
   ありきたりの慰めの言葉は通じない。寧ろ、失礼か。
   そこで“傾聴”が果たす役割は、患者さんに
   「自分の苦しみを理解してくれる人がいる」と
   思ってもらうこと。
   そう思うことで患者さんは、たとえ治らない病でも
   救われるのだという…

   この話を聞いた時、涙腺が決壊しそうだった。

   私は、ふみを救えたか?否。
   「どうしてこんなに苦しいの?」と、
   癌と闘うふみの眼差しや鳴き声に接しながら、
   私は彼女の問いかけに応える事をしていない。

   もともと夜の間ずっと、眠る私に腹を立てていたようだが、
   癌を発症してから、夜は30分おきに鳴いて起こすようになった。
   痛かったのかな。苦しかったのかな。
   不安だったのかな ―― きっと、全部だ。

   今になると、その頃自分がどう応えていたのか思い出せない。
   ふみは、解ろうとしないだけで、人間の話自体は理解していた。
   そんな彼女に私が投げかけていた言葉といえば…
   「ふみちゃん、ごめんね」
   「ふみちゃん、大好きだよ」
   ―― 臨終の言葉とまるで同じだ…
   励ましや慰めにも、大切な“理解”にも至っていない。

   ふみちゃん、ごめん。
   どんなに痛くて苦しいのか、
   ホントに推し測りようがなかったんだよ。
   想像のしようがなくて…
   いや。想像する事から逃げてたんだね。
   
   ごめん。ふみの終末に寄り添えてなかった…   
   
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