文世さんに逢いたい

婆猫ふみちゃんが逝って、もう15年。
今は自分が人生休止中。ミライは10歳シニア猫です。

派遣歴長し。
限界を感じました。

2013年03月

季節の手紙

ふみの日(実は卯月2005)


  ふみが逝った後、
  年賀状はもう4年出していません。
  (特に“長き喪中”という意味ではなく)

  送ってくださった有り難い方々に
  「寒中見舞い」や「余寒見舞い」で、
  お返事するという形になっています。
  すっかりこの姿勢で落ち着いちゃったなぁ。
  年賀ハガキ自体、買わなくなったしね…

   いや、実は、
    今年はお返事すら怠けてるのよ…
    ごめんなさい。

  携帯・PCメールが普及しきった今でも、
  手紙を書くことはよくあります。
  十代の頃から、字を書くことが好きなので、
  自分のPCを持つ前までは、
  日記も手書きでした。

  “筆まめ”とは到底言えないながら、
  手紙を書くのには、「昔からの習慣」以外に、
  けっこう「相手に喜んでもらえる」という
  理由があります。

  私の字は、かなり見やすいらしいのです。
  女性からは「きれいな字だね」と
  言われることも少なくありません
  (男性ウケする字ではないらしい…)。
  “褒め言葉”を絶対信じない私でも
  (褒められる事自体、滅多に無いけど)、
  文字に関してだけは、素直に受けとめられます。

  歩く事、アイスクリームを食べる事のほかは、
  すべてにおいてスローテンポなため、
  文字もゆっくりのったり書いてます。
  流麗な文字というのでしょうか、
  ああいう風には絶対できない。手がそう動かん。
  だから、案外ひとつの手紙に時間はかかります。

  しかも、長文になりやすいんですよ、自分の場合。
  それで手書きだと、指のマメが痛くなるのは当然か。
  その点、メールだとかなり楽であることを実感して、
  この9年の間は、大半をe-mailに頼っておりました。

  ただ、意識して、一昨年あたりからできるだけ
  手紙を書くようにしています。

  毛筆はともかく、硬筆は限界がいずれ来るだろうと
  考えます。自分の場合、首こり・肩こりで
  字を書きづらくなっている実状があるので、
  「書けるうちに、今のうちに」という気持ちが
  働いているのでしょうか。

  昨夏、パニック障害(土台は持病の鬱)を発症して、
   手が震えるようになって困りましたよ(苦笑)。
   炊事(包丁使い)・仕事(手書きは避けられない)、
   そして「手紙を書く」こと。


  劣等感の塊である私は、
  せっかく褒めて頂く字に対しても、
  「結局、個性も能力も無いって事なんじゃない?」
  と、卑屈に考えてしまいます、どうしても。
  (更に、今の時代、直筆は評価の対象外ですしね)

  ただ…文字は、確実に「自分の分身」と感じてもいる為、
  今後も、誰かに届け続けたいと思います。
  字が歪んでても、どうか赦してなぁ~


  追記:同じ言葉でも、手紙と会話だったら
      どっちがグッと心に来ますか?
      切ない結論だけど、
      やっぱり直接、人の口から出た言葉が
      “最強”(場合によっては、最凶)
      なんじゃないかなぁと、うなだれてます。

すずらん~春に訪ねてくる幸福の使者

まどろむふみちゃん

























   7日の昼休み、職場の近所のお花屋さんで
   スズランの鉢を買いました。
   昨年同じお店で会った“花かんざし”は
   見当たらなかったです。
   でも、その結果より前にまず、
   スズランの存在が視界を占領してしまって、
   迷わなかったですね、今年は。
   スズランは、ふみ&ヒロ姉妹が生まれた
   5月1日の誕生花なのです
   (本やサイトなどによって、記載は異なります
    ちなみに、私が持ってる誕生花の本だと、
    5月1日の花は『さくら草』でした)。

   日が長くなった家路をたどり、部屋に着いてから
   スズランの鉢を「ふみの定位置・ベランダ」に
   置いてみました。あかん…はずしたみたい。
   安価だからかなぁ…「これから育ちます!」という
   意気込みも花は持ってなかったようで、
   ほぼその日のうちに変色してしまいました。

   写真アップは断念しましたが、
   多年草であるスズランの今後を大切にしたいです
   (お花に詳しい方がいらしたらご指導くださいね…)。

朝が来たら


   7日の朝は、5時前に自然と目が覚めた。
   予定通りだった。
   ただ、前夜の晩酌をあまり抑えなかったせいか、
   全身がだるくて「起床スイッチ」が入らない。
   「やっぱり、やめとこうかな…」
   いつでも楽な道を選びたがる。
   そんな自分の耳に入ってきたカラスの声は、
   聞き慣れた単調なものではなく、なんだか、
   ふみのダミ声と、昨夏に逝った野良猫の声を
   混ぜ合わせたような、胸を引っ掻く鳴き方だ。
   「昨日決めたとおり、動くか…」と、
   ゆっくり布団から這い出してみた。

   
   平日の朝は、携帯(スマホじゃない)のアラームを
   6時15分にセットしている。
   6時半でも、出かける支度はできるんだけど、
   大野くんのご機嫌をとる時間を長めにしたくて、
   ここ1年ずっと、06:15起床と設定してきた
   (実際には、大野くん・黒絵に眠りを破られて
    しぶしぶ早めに起きていたりする)。

   先月末かな。急に気づいたの。
   6時15分って、ふみが最期の日、
   鳴き声をあげて横の私を起こした時間だよな。
   4回目の命日まであと1週間ってタイミングで、
   ようやく思い当たるなんて…鈍感すぎる。
   1年間、気持ちをどこに向けてたんだろうな…

   この4年間、ふみが癌と闘った10か月と、
   06:15~06:45の最後の30分間を、
   繰り返し思い返していた。
   それが「何のため」なのか、解らない。
   損なのか得なのか、関係ない筈だ。
   たぶん、自分に必要な習慣、
   大げさに云うと、“儀式”だったんじゃないか。

   ただ、前回久しぶりにブログをアップした日
   (3月5日はテンポイントの命日に当たる)、
   ハッと考えた。
   私は6時15分にふみに起こしてもらったけれど、
   ふみにはそれ以前の時間が存在する。
   当然ながら。
   未明から暁の間、ふみが自分の肉体の声を
   聴きながら過ごしていた時間。
   遂に「ねぇ…もう…」と声をあげるまでの時間、
   彼女が何を感じていたのか、
   どんな時を刻んでいったのか、
   今更ながら必死に考えてみた。
   もちろん苦しかっただろう、
   恐怖感に支配されて耐えられなかったのじゃないか…

   どうして、今まで思い至らなかったんだろう。
   最期の30分は人間側にとっての時間であって、
   ふみにはもっと永い時間があったという事に。


   それで、命日の前日になって
   「朝5時過ぎの空気を吸ってみよう」と計画してみたんだ。
   なんだか、妙に頭の軽い決意っぽいけど。

   5時はまだ暗い室内。
   4年前、この薄闇の中でふみは起きていた。
   いや、意識が混濁していたかもしれないから、
   夢と現実の間を行きつ戻りつしていたのかな。

   屋外に出てみると、そこもやはりまだ暗いまま。
   歩き出して、ブロックをいくつか通り抜けるうちに、
   やがて空が白み始める。
   そういえば昔の映画に、
   息を引き取る直前の子供から
   (不治の病でずっとベッドに寝たきりだった)、
   「自分の代わりに外を歩いて欲しい」と云われた親が、
   最期を看取るのではなく、外の世界をひたすら歩く、
   というラストシーンがあったのを思い出した。
   20年以上、一度も記憶に甦らなかった映画だ。
   歩いていると、いろんな事が頭に浮かんでくるから
   面白いものだねぇ…

   もともと活動範囲の狭かったふみ。
      「省エネ&面倒くさがり」なところが同じ、私達だった。
   
   最後の2日間はもう動けなくなっていたふみ。
   
   だから、ふみの分までできるだけ外を歩こうか。


   部屋に戻ると6時過ぎ。
   外も室内もすっかり明るくなっていた。
   さあ、ふみちゃん。
   キミの居ない5年目が始まりました…

   

楽 園


2013年お初です




    旧年中お世話になった御礼も申し上げず、
    新年のご挨拶もしないまま、大変失礼致しました。

    せめて23日(ふみの日)には、
    2月22日か2月23日には必ず…!と念じながら、
    とうとう三月を迎えてしまいました。
    四度目の命日がすぐそこまで来ています。



    頸椎症や過呼吸の発作などは、
    お蔭さまでだいぶ治まりまして、
    根気強くリハビリを継続してゆけば、
    悪化することはなさそうです。

    ブログ(PC画面そのもの)に向かわなかった原因は、
    体調よりも気持ちのほうに問題があったと思います。
    
    
    心身の留め金が外れそうだけど、ひとまず通勤。
    毎日ほんとに、同じ時間に同じ事を繰り返して、
    日々をただ流しています。駅前で1日分の買い物をして、
    帰宅する時にはもう、ガラクタを繋いでるボルトが墜ちる…

    玄関のドアに鍵をさす前に、ふーっとひと息吐いて、
    「よし…もういっちょ…!」と自分に気合を入れます。
    それから勢いよくドアを開け、
    『ただいまっ ! キミたち !! 』

    一年半前から倉庫代わりの部屋に棲みつき、
    昨秋あたりから居間で一緒に過ごす時間が増えた、
    黒絵ちゃん(耳にパンチの痕がある、手術済みの♂)。
    大野くんにとって、お兄ちゃんのような存在ならイイけれど、
    そこは人間と同様、難しい関係で、
    大野くんの心にはまだまだ葛藤があるようです。

    ただ、自分の居場所を確保したい黒絵ちゃんも、
    彼なりに抑えているのだ…
    (まだ、野良2割:飼い猫8割ってところ)。

    外の世界に楽園はそんなにないけれど、
    ここがキミたちの楽園であってくれれば、嬉しいな。
    もちろん、私にとってもキミたちと居る此処は、
    楽園なんだよ。
    


        

プロフィール

あつぶこ


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