文世さんに逢いたい

「婆猫ふみちゃんのスローライフ」を綴りたくて、 2004年から始めたブログですが、
ふみは2009年3月に19歳10か月で逝きました。

2014年01月

待ち受け~まちぶせ

やや不機嫌



    携帯の待ち受け画像は、大島優子です。
    好きだったんすよ、AKB(過去形)。

    そういえば、もう2年半変えてない。
    でも、待てよ。
    大野くんを待ち受けに設定してくださっている、
    有り難いねこ友さんもいらっしゃるというのに、
    肝心な自分が、優子のままというのは、
    いかがなものか??


    大野くんの画像を待ち受けにすれば、
    ふと誰かに尋ねるチャンスができたとき、
    警察手帳を出すような感じで、
    「こんな猫を見かけたことはありませんか?」
    と、携帯電話をパカッと相手に見せられるではないか。


    昨秋から3か月、チラシを1~2セット(2枚1組)入れた
    書類カバンを、毎日欠かさず携えています。
    でも、仰々しくカバンからチラシを出すより、
    気軽な雰囲気のほうが好まれる場合も
    あるかもしれませんね。

    
    


かくれんぼ




    3か月半が経過した、この1月の終わり。

    捜索の方法も範囲も、考え直す必要がある。
    そんな段階に、来てしまった。

    今後、どうしたものか…と考えあぐねている現在です。

ついておいで

窓辺の大野くんとミライ



     皆さんに励まされながらも、毎日揺れている自分がいます。
     
     
     「精神の高揚」とはほぼ無縁、「低め安定」で生きてきましたが、
     この3か月は、希望と絶望の間をせわしなく行き来しています。


     覚悟と責任をもって、ちゃんと生きてこなかった、
     その“ツケ”がど~んと回ってくるもんだな、やっぱり。

     置かれている環境は、結局自分が選択したものだと、
     私は独り暮らしを始めた頃から、ずっと考えています。

     誰のせいでもない。
     自分が選んでいるんだ。




4日目のミライと大野くん


    起こる出来事は、概ねその人間に相応しいものかもしれません。

    ただ、何も悪くない大野くんが、
    私の人生の“ツケ”を払う必要は、全く無いのです。

    大野くんに申し訳ない…
    ずっと、そう思っています。

    私が苦しむのは当たり前だし、自業自得だけど、
    大野くんには、苦しい目に遭ってほしくありません。



見上げる大野くん


    逢えなくてもいいから、元気でいてほしい。


    日参しているスポットから、(肩を落として)引き揚げる時、
    できるだけ寄り道はせず、
    まっすぐ家への道を歩くようにしています。

    無駄なようだけど、大野くんが何処かから見ているかもしれない。
    私の姿を、私の足音を憶えているなら、
    さあ、こっちだよ。

    私が去っていく方向を進んでいけば、
    やがて、4年近く何度も通った動物病院が見えてくる。
    通院は嫌がったけど、それだけ記憶に残っているだろう?

    思い出して。家への道を。
    だから、ついておいで…

ホワイトアウト

2013年文月の大野くん




    いつになっても逢えないからか。
    訪ねた人の態度が冷ややかだったからか
    (むしろ当たり前の反応なんだけど)。

    方向を見失っている、現在です。




考え込むミライ



    たった200m×60mほどの長方形の中で、
    もう2か月以上、見つけられない。
    
    自宅周辺も同じぐらいの範囲で捜索したけど、
    こっちのほうは、「たぶん居ない」という
    判断(最終結論ではない)に、たどり着きました。
    
    一方、自宅から直線で500m離れた
    そのエリアは、情報が入れば入るほど
    「それは大野くんの可能性が高い」と思わせる。
    


プロレス技




    何もかも厭になって、先週の半ばは会社を休んでしまった…
    (ちょうど業務の隙間にあたっていた時なので、
     休むなら今日だ、と。意外に冷静な判断じゃないか)


    師走に入った頃から、ごくたまに、利き腕が動かなくなります。
    頸椎症が一時的に悪化する際の症状なのか、
    精神的負荷が身体に顕れているのか。
    ペンを持てないとできない仕事なので、これは困ります。



    週末も、週明けも、どうしたらいいか判らないまま、
    立ち尽くしています。その逢えない場所で。


    狭い長方形の住宅街に立っていると、
    そこが山奥に拡がる雪原のように思えてくる…

せつなくて…冬

実は後ろに黒絵


              何かと何かの曲をパクッたようなタイトル…


    先週、大野くんを探し始めた時から、
    何度か相談に応じていただいている女性と、
    今年に入って、初めてお会いしました。
    (チラシを持ってお宅を初訪問した時以外は、いつも偶然)

    私の表情を見れば一目瞭然なのでしょう。
    「まだ見つからない…?」
    「ええ…」
    ―― そろそろ、諦める時期に来てるのかなって、
        考えているところです。
    ある程度“表向き”のコメント(完全な偽りでもない)を、
    うつむいて呟いてみました。

    すると、彼女は僅かにホッとしたような表情を浮かべました。
    「そうね。どこかでもう、飼われてるかもしれないわよね」

    彼女のその表情は、思いやりの表れなのです。
    以前ブログで書いたように、
    「何をやっても楽しくない」日々を味わった人だから。

    雨の日、風吹く夜、自分の猫が何処でどうしているのか。
    怯えてうずくまっている姿、飢えてさまよう姿。
    想像しては身をよじり、探し回る時間を重ねた人だから
    (彼女の場合、結局亡くなっていた事が判ったそうです)、
    “諦め”という形であっても、解放されたほうがいいと、
    私に対しては感じたのかもしれません。


    確かに、救いのない空気を身にまとっている人間です。
    ただでさえ、「ネガティヴ王」と言える人間が、
    更に闇色の“負”を増幅させているんだからなあ…


    猫好き・動物好きの人じゃなかったら、
    絶対「関わりたくない相手」だと思う
    (いえ。猫好きの人だって、きっと…)。

    このブログを訪ねてくれる人にも、申し訳ない。


ミニ卓の下ちび


     今週は、2件、目撃情報が入りました。
     2か月探し続けている、同じポイントで。
     私だけ逢ってないよ~!!

     大野くん似のキジトラは、じっと相手の顔を
     見つめていたそうです。2件に共通する情報でした。

     鼻は悪いみたいだけど、目と耳は鋭い大野くん。
     「…あつぶこじゃないなぁ…」
     そんな風に確認していたのでしょうか。

     切なくなる話だよ…


ミニ卓の下ミライ


    新しい年を迎えたミライは、
    気がつくと、私のすぐ後ろに居ることが多くなりました。
    時には、私の踵の上に頭を置いて寝てたりする。
    おまえ、お兄ちゃんと同じになってるじゃないか。

    切なくなりますわ…
    
    


真冬のシルエット

見ないでぇ


       
         東京に比べると、ほんのちょっぴり温暖な地元でも、
     年明け以降、氷点下を記録する日が増えてきました。



    “徘徊”(大野くん探しの旅)を始めてから
    気づいたのが、午前2~3時は
    覚悟しているよりは寒くないって事ですね。


    午前3時前後に“餌やり”をされている方が複数居ると、
    間接的に情報を得て、やや納得できました。
    人間側の労力・負担はともかく、
    凍てつく寒さの極限を、人も猫もある程度回避できている…?


    冬の一日の中で、最も寒さが厳しいのは、
    朝6時頃ではないでしょうか?(関東地域しか判らんけど…)


    顔を出した太陽が、上昇していくために
    地上からエネルギーをわしづかみにして奪っていくのでしょうか。
    強烈な引き潮のように、大気と地面から熱が
    いっきに喪われていくのを感じます。



    
見上げるちびノリ君


    徹夜のアルバイトを週2回ペースでやっていた時代
    (最も長く居続けられた職場でした)。
    始発が動く頃に退社し、よく銀座・有楽町のほうまで
    歩いたものです。

    最寄駅は徒歩10分程度の所にあったけど、
    なんとなく、外の空気が疲れた脳に心地よくて、
    更に長く歩き続けました。夏も冬も。

    銀座が近づくにつれ、視界の先にゆらゆら影が見えてきます。

    冬だとまだ、日の出の片鱗もなく、
    街灯が照らす部分以外は真っ暗だから、
    何が動いているのか、遠めには判りません。

    その影の多くは、ホームレスの人々の姿です。

    日中や街に賑わいのある時間帯は、
    段ボールや新聞紙に覆われて寝ている彼らも、
    夜明けを迎える頃には、とぼとぼ歩き回ったり、
    風をよけられる建物の片隅に立っています。

    そうしないと、凍死してしまう危険があるからだそうです。

    寝転がったままのホームレスを見つけたら、
    声をかけて起こすのが、冬のおまわりさんの役目。
    「邪魔になるから退去せよ」と促す目的ではなく、
    凍死を防ぐためなのだと聞きました。

    あの、真冬にうごめく影たちは、
    「死んではいけない」と、闘う彼らの姿でもあったのです。

    もう、銀座の未明の光景は、
    15年ばかり見ていません。
    

    
愛嬌たっぷりチビ


    屋根の下で、布団にもぐっていられるって、
    ものすごく幸せなことだ。

    私の脳は、あいにく“幸福”を感じる機能に欠陥があるみたい。
    でも、一日の終わり、布団の中に入った瞬間は、
    「あ~なんて幸せなんだろう…!」と、心の中で叫んじゃいます。
    

    

冬の花

雪の結晶



   前回の日記で“ひまわり”と呟いた後、
   「そういえば、“冬の花”ってあまり知らないな」
   と気づきました、今さらながら。

   すぐに思いつくのは、福寿草と雪割草…
   そんなものでした。


   実のところ、花には縁の薄い生活なのね。
   ふみとヒロの記念日に、お花を買ってくるぐらいで。

   冬と早春の間の、景色が好きです。
   樹々の枝のツボミがまだ堅く、風にふるえている頃の、
   曇った空や匂いにホッとする。
   



好奇心


   うちに来て1か月(生後2か月)で、早くも屋外に脱走しているミライ。
   好奇心いっぱいで、怖いもの知らずのお嬢さま。
   
   仔猫用トイレを卒業したと思ったら(その必要もないのに)
   大野くんと同じトイレを使うようになり、
   時には大野くんが入っている最中に、
   「私もお兄ちゃんと一緒にする~」と飛び込んでいました。
   ナーバスな大野くん、とっても困る…

   8月頃でしょうか。
   トイレの後片付けをしていて、ふと重大な事に気づく。
   ミライがもう3日以上、使った形跡がない(大のほう)…
   彼女に関しては便秘知らずなので、
   「あ~ついに外で用を足すようになったのか…!」
   と、膝から力が脱けていきました。

   黒絵は、半野良だからしようがない
   (一応、彼用のトイレは置いてある)。
   それにしても、猫の屋外行動を迷惑がっている御近所で、
   ミライまでそんな習慣を身につけてしまうとは…!

      いったい何処で、どなたの御宅の御庭でしてるのよ…?
   せめて、目の前の公園の林でやってくれんかね…

   ミライの新しい“トイレ”は、まもなく判りました。
   うちのベランダのプランターです。

   根気もセンスも無い自分は、
   一生ガーデニング・園芸等に手を出さないでしょう。
   ただ、2011年の震災の後、
   節電対策の一つとして、「ゴーヤのカーテン」を
   作ってみようかとは考えていたのです。
   それで、100均で買ったプランターに土だけは
   入れておいた。ええ、そのまま2年放置してました。

   ミライは、黒絵用に開放してある玄関側の窓から出ると、
   ぐるっと建物を回り込んで、自分ちのベランダに入り
   (1階だからできる事だが、間違えないのはエライ!)、
   そのプランターをせっせと掘っては、スッキリしていたのです。

   その現場?


ベランダの大野くんとミライ



    ここから、すりガラス越しに、動くミライが見えました。
    すっごい楽しそうに“作業”してた。
    人工的な猫砂よりも、土のほうが気持ちいいよね。
    それからは、毎日プランターの中を掃除して、
    園芸用の土を追加していました。


    ミライが外に出ると、心配して後をついていく大野くんが、
    プランター直行の時は、なんとなくわかるのか、
    部屋の中から動かない。時には、私と並んで、
    すりガラス越しのミライを眺めていたものです。



ひまわり畑



    今年の夏こそ、ゴーヤと、そしてひまわりの種を
    植えて、育てたいと思っています。


    冬の花…
    冬の花束…
    大野くんが帰って来ることが、私にとって“冬の花”です。

ひまわり~ I GIRASOLI ~

ひまわり畑


   母や小学校の時の担任の先生の影響で、
   昔の映画が好きです。
   特に、1960年代・1970年代の外国映画。

   たった一度しか観ていないのに(しかもテレビで)、
   長い時を経ても、幾度となく心の中に甦る作品の一つに、
   『ひまわり』という、1970年公開の映画があります。
   主演のソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニは、
   どちらかというと、それほど好きな俳優ではありません
   (超一流の名優に対して失礼ですが)。

   しかし、この映画はすべてを圧倒するような
   哀切さに包まれていて…表現が追いつかない程です。
   映画通でなくても(もちろん、自分も含め)、
   タイトルをあげると、たいていの人が知っている作品なので、
   内容を大雑把に話しても、ネタバレにはならないでしょう。

   第二次大戦中、戦線に送り込まれたまま戻ってこない夫を、
   ひたすら待ち続ける妻。戦死していても無理のない状況で、
   夫の生存を信じ、遂には戦地ロシアへ妻は旅に出ます。

   そして、現地で夫の情報を尋ね歩くうちに、
   ある家にたどり着き、そこで若い女性と出会いました。
   妻も、その女性も、言葉を交わさないまま…
   お互いに判ってしまうシーンが印象的です。
   若い女性の傍らには、小さな子供も居ました。

   私はまだ小学生だったけど、この作品を
   恋愛映画とは捉えませんでした
   (それだと、こっぱずかしくて観られない)。
   当時、歴史で太平洋戦争に関心を持っていた事もあって、
   あれは、戦争映画の一つなのだと、解釈しました。
   今でも、8割ぐらい、そう思っています。

   戦争は、奪うだけだ…何もかも。

   圧巻なのは、ロシアの大地に咲き誇る、ひまわりの光景。
   冒頭の写真は、映画のものではありませんが、
   確か、オフコースの時代、小田和正がコンサートで
   この映画のワンシーンを、会場の画面いっぱいに
   流したと聞きました。どうしても、使いたかったそうです。
   それほど、心をぎゅっとつかまれる、美しく哀しい情景なのです。

   このひまわり畑の下には、多くの兵士たちが眠っています…



   大野くんが帰らなくなって、1週間ばかりの頃から、
   「ツライ思いをしていないでほしい。それだけは頼む…」
   と、願っていました。
   虐待、遺棄(嫌いだから捕まえて遠方に棄てる)…
   事故死よりも酷いと思える、そんな実態が、
   この人間社会には存在するんですね…


   



大野くん思案顔


   だからこそ、「誰かに保護されて、その家の子になっていたら…」
   と想像するほうが、“逃避”のようでも救われるのです。

   昨年暮れ、友人が偶然、近所のマンション駐車場で、
   大野くんによく似たキジトラに出会いました。
   すぐに去ってしまったその猫は、首輪をつけていたそうです。

   10月から情報提供をお願いしている女性たちに
   (考えたら、私が接触に成功したのは、すべて女性)、
   偶然遭った12月。彼女たちは、団体に所属せず独自に、
   餌やりや避妊・去勢手術の活動を、長年続けています。

   「まだ帰って来ない?全然見かけないのよね…」
   近隣一帯を広く回っている彼女たちは、
   外に居る猫たちの事は殆ど把握しているのです。

   「これだけ見かけないって事は、もしかすると
    誰かが保護して、そのままでいる可能性もあるわね」
   ―― だって、こんなに可愛いんだもの。
   チラシを見た人が、よく言ってくれる言葉です。
   大野くんに聞かせたいなあ…
   

   友人が遭遇した“激似”のキジトラが居た場所は、
   うちからだと直線で50メートル程しか離れていません。
   11月半ばからずっとマークしている場所に比べたら、
   10分の1の距離。現実的な移動範囲に思えます。
   その辺りのマンションは、ちょっと高級で、
   「ペット可」だとも考えられる(実際、犬の出入り有り)。

   可愛がられて、幸せな現在ならいいなあ。
   そう思うだけで、私の心につかの間、“平穏”が宿るのです。



   

この惑星の猫ってヤツは……


猫はこうあるべきだ


   旧年中は大変お世話になりました。

   もともと、ローテンション&ネガティヴなブログなのに、
   昨秋以降さらに!よりいっそう!!
   陰鬱な世界を築いてしまった… 

   訪ねて、決して好い気分になれる場所じゃない。
   それにもかかわらず、訪れ、励ましてくださる皆さん。
   いつもいつも、有り難うございます 

   本年も宜しくお願い申し上げます。

   大晦日も元日も、日記を書く気満々でいたのですが、
   大野くん探しに熱中しているうちに、
   三が日まであっという間に過ぎてしまいました。


   12月下旬から、たぶん一つの“分岐点”、
   解決しなければ前に進めないポイントに立っています。


   たびたび、大野くんに似たキジトラが
   目撃されているスポットがあって、11月半ば以降、
   ほぼ毎日のように(日によっては時間を変えて3回)、
   そこへ日参しているのです。
   
   でも、逢えない。
   夏のけだるい時季と違い、猫の姿自体、
   人間の目が届く範囲に現れにくいですね。


   勇気を出して(たぶん一生分)、
   2013年も残り10日という段階でようやく、
   そのスポット近隣の方々への聞き込みを
   実行することになりました。

   結果は、大当たり。
   大野くんに似たキジトラに、
   そのスポットに住む人達も遭遇していたのです。

   もっと早く、自分が行動に出ればよかった。
   悔やんでも遅い。間に合うなら、今後できる事を…。



お前には勝てん…


   昨年の仕事納め翌日から、
   「よく現れる」「ここを通っていく」というポイントに、
   
毎朝、立っています。
   時間も、目撃情報に沿って、かなり絞りました。

   やっぱり逢えない…



    そのキジトラが大野くんではない可能性もある。
   だけど、それをこの目で確認しないことには、
   大野くん探しの作戦変更をする訳にもいかんのです。




   人間が待ち伏せしてれば、そりゃ「様子がおかしい」と、
   たいていの猫は警戒するだろうな。

   
   大野くんは、私の姿を見て、「あつぶこだ」と判るのか。
   判らないと思う。もう3か月会ってないし、
   本来のテリトリーから離れた場所で私を見ても、
   「4年間暮らした人間」と認識するのは難しい。

   また、もしかしたら、
   私だと識別した上で、現れないのかもしれない。
   私が立ち去るまで、動かないようにしてるのかな…


   大野くんが行方不明になった原因は、未だに判らない。


   この3か月、大野くんが、
   どんな思いで、どんな経験をしてきたのか。
   私は知ることができません。

   「とても怯えた様子」「警戒している」と言う、
   目撃者(猫をよく知る人)もいました。


   それにしても、猫ってヤツは、
   人間の思うように行動してくれないもんだなぁ。

   大野くんは「猫らしい猫じゃない」と、
   身びいきで捉えていたけれど、
   やっぱり、猫なんだよねぇ…


   まだしばらく、立って待ちます。



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