大野くんの誕生日(推定)である23日に、
川を越えた市内北部へ、足を運びました。
昨年11月と師走の遠征から、3度目、3か月ぶりです。
お気に入りの稲荷神社に寄ると、
猫に3匹も逢えました。
昨年は全く姿を見かけることができなかったのに。
日も長くなったし、暖かくなった証拠だなあ…。
最終的な目的は、
「大野くん探し」よりも、病院へのご挨拶にありました。
ご近所でも、かかりつけでもない。
それなのに、真正面の目立つ場所に、ずっと、
5か月以上貼りだしていてくださった病院でした。
「本当に長い間、貼り出してくださって、
有り難うございます。お世話になりました」
もう、はがしてくださって結構です…
理由は付け加えず、それだけ言いました。
院長先生もスタッフの方たちも、
何も尋ねることはしませんでした。
こちらの表情を見れば、少なくとも
「見つかった」訳ではないと解ったことでしょう。
ゆっくりお辞儀をして病院を出ると、
しばらく経って涙が出てきました。
2か月前。知人を通して、
霊感のある人(それを職業にはしていない)に、
大野くんの事を視てもらう機会がありました。
知人も猫好きで、数年前ふみと同じような癌で
愛する猫を喪っていますから、
大野くん探しで気がふれてしまっている私を、
見るに見かねて、手助けしてくれたのだと思います。
大野くんの写真を何枚か委ねたところ、
“先生”に視えたのは、
「悪意のない人に保護され、可愛がられている」
大野くんの姿でした。
保護主は、迷い猫チラシの存在には気づいているようだけれど、
今となっては大野くんを手放せなくなっている、という事です。
これは、私が「そうであってほしい」と願っていた、
大野くんのその後の暮らしぶりです。
私に絶望より希望を与えたいという、知人の気持ちも、
もしかしたら、写真に乗っていたかもしれませんね。
この“霊視”には、まだ続きがあります。
1月末に取り急ぎ視てもらった時は、
メールに添付した写真と、このブログが“媒体”でした。
それから約半月後、知人が今度は直接、
“先生”に大野くんの写真を視てもらったのです。
すると、前回よりも“先生”は少し考え込み、
「このコは、旅に出ている…」と呟きました。
「え?どういう事ですか?」と、尋ねる知人。
それに対し“先生”は、
「探している人には、そのように伝えてほしい」
と言い残したそうです。
それを知人から伝え聞いた私は、
「あ~…」と、妙に納得してしまいました。
どうしてでしょうね。
これが、10月・11月の段階だったら、
同じ答えを聴いても、私の受けとめ方は
違ったかもしれません。
時間が流れたんだなあ…
独り納得顔の私に、知人が
「じゃあ、『フーテンの寅さん』みたいな感じ?」
と、言います。
「そうね。待ってる妹分も居るしね」と私。
さくら…じゃなくて、ミライという、
妹のように可愛がっていた仔と、4年間暮らした部屋と、
私を、ある日ふと思い出してくれないかなあ。
でも、何度でも云おう。
大野くんの現在が幸福なのであれば、
それが一番なんだよ。
これは、かっこつけて云ってる訳じゃない。
迷子掲示板やブログをチェック。
そこまでやってくれると嬉しいよ、大野くん…