文世さんに逢いたい

「婆猫ふみちゃんのスローライフ」を綴りたくて、 2004年から始めたブログですが、
ふみは2009年3月に19歳10か月で逝きました。

2014年03月

フーテンのキジ寅さん


旅もいいな…




     大野くんの誕生日(推定)である23日に、
     川を越えた市内北部へ、足を運びました。

     昨年11月と師走の遠征から、3度目、3か月ぶりです。

     お気に入りの稲荷神社に寄ると、
     猫に3匹も逢えました。
     昨年は全く姿を見かけることができなかったのに。
     日も長くなったし、暖かくなった証拠だなあ…。

     最終的な目的は、
     「大野くん探し」よりも、病院へのご挨拶にありました。


     ご近所でも、かかりつけでもない。
     それなのに、真正面の目立つ場所に、ずっと、
     5か月以上貼りだしていてくださった病院でした。

     「本当に長い間、貼り出してくださって、
      有り難うございます。お世話になりました」

     もう、はがしてくださって結構です…
     理由は付け加えず、それだけ言いました。


     院長先生もスタッフの方たちも、
     何も尋ねることはしませんでした。
     こちらの表情を見れば、少なくとも
     「見つかった」訳ではないと解ったことでしょう。


     ゆっくりお辞儀をして病院を出ると、
     しばらく経って涙が出てきました。
     





食うミライ、見守るチビ




     2か月前。知人を通して、
     霊感のある人(それを職業にはしていない)に、
     大野くんの事を視てもらう機会がありました。


     知人も猫好きで、数年前ふみと同じような癌で
     愛する猫を喪っていますから、
     大野くん探しで気がふれてしまっている私を、
     見るに見かねて、手助けしてくれたのだと思います。


     大野くんの写真を何枚か委ねたところ、
     “先生”に視えたのは、
     「悪意のない人に保護され、可愛がられている」
     大野くんの姿でした。

     保護主は、迷い猫チラシの存在には気づいているようだけれど、
     今となっては大野くんを手放せなくなっている、という事です。



     これは、私が「そうであってほしい」と願っていた、
     大野くんのその後の暮らしぶりです。



     私に絶望より希望を与えたいという、知人の気持ちも、
     もしかしたら、写真に乗っていたかもしれませんね。


      



迷い猫掲示板閲覧中?




     この“霊視”には、まだ続きがあります。

     1月末に取り急ぎ視てもらった時は、
     メールに添付した写真と、このブログが“媒体”でした。


     それから約半月後、知人が今度は直接、
     “先生”に大野くんの写真を視てもらったのです。


     すると、前回よりも“先生”は少し考え込み、
     「このコは、旅に出ている…」と呟きました。


     「え?どういう事ですか?」と、尋ねる知人。
     それに対し“先生”は、
     「探している人には、そのように伝えてほしい」
     と言い残したそうです。


     それを知人から伝え聞いた私は、
     「あ~…」と、妙に納得してしまいました。


     どうしてでしょうね。
     これが、10月・11月の段階だったら、
     同じ答えを聴いても、私の受けとめ方は
     違ったかもしれません。


     時間が流れたんだなあ…



     独り納得顔の私に、知人が
     「じゃあ、『フーテンの寅さん』みたいな感じ?」
     と、言います。


     「そうね。待ってる妹分も居るしね」と私。

     
    




仔猫モデル




     さくら…じゃなくて、ミライという、
     妹のように可愛がっていた仔と、4年間暮らした部屋と、
     私を、ある日ふと思い出してくれないかなあ。


     でも、何度でも云おう。
     大野くんの現在が幸福なのであれば、
     それが一番なんだよ。
     これは、かっこつけて云ってる訳じゃない。


     迷子掲示板やブログをチェック。
     そこまでやってくれると嬉しいよ、大野くん…


     

捜索方針の理由

     
     
     大野くん探しを始めてから、
     世の中で実に多くの人が、
     県内だけでもたくさんの人々が、
     行方不明になった飼い猫を探している事実を
     知りました。

     それまでだって、動物病院やペットショップに
     貼り出されている「迷い猫」チラシを、
     度々目にしていた筈なのに。


     批難を覚悟して告白すると、
     「他人事」のように捉えていたのでしょう。


     飼い主さんが必死の思いで掲示を依頼している
     貼り紙も、あまり現実感を持った目で見ていなかった…
     そういう自分の無関心な身勝手さを、
     痛感しています。
     恥ずかしいです。人と猫たちに、申し訳ない…


     「自分の事だけで精一杯で…」というのは、
     現状をそのまま表した、偽りの無い言葉だけれど、
     それもやはり、言い訳のように感じつつ、
     二つの季節を過ごしました。




ちびとミライのポスター




     もともと、そんな「自分の事しか考えていなかった」
     私に対して、大野くん探しに応じてくださる人たちは、
     とても親切で、人情味にあふれていました。
     このブログを読んでくださっている皆さんも、もちろんそうです。


     5か月半の捜索を振り返ると
     (2月に入ってから、“待ち”の態勢に入ったため、
      動き回っていたのは、実質4か月弱ですが)、
     不愉快な思いをした事が殆どありません(ゼロではない)。


     見方を換えれば、「不快な思いを避ける」探し方を
     していたとも言えるのです。

     用心深く、猫嫌いではない、親切そうな人のもとへ、
     ある程度“勘”を働かせて、アプローチしていった…




水無月のちびとミライ




     チラシを広範囲にできるだけ多くポスティングする事や、
     ポスターを作って貼りだすアドバイスも、何度か頂きました。
     迷い猫掲示板を見れば、実際にそうやって捜索している人は
     かなりの数いらっしゃいます。
     ペット探偵に依頼する人もいました。

     
     結局、私はポスティングもポスター貼りも、
     実行しませんでした。


     面倒くさかったとか、費用を惜しんだのが理由ではなく、
     有り難いアドバイスに対して、
     「聞く耳をもたなかった」訳でもありません。



     大野くんが戻らなくなってすぐ、
     届け出・問い合わせの必要な窓口に連絡を入れ、
     5日経っても帰宅しない、近所で見つけられないという段階で、
     ようやく、チラシを携えての聞き込みを始めました。


     その時点で念頭にあったのが、
     「自宅近辺に大野くん似のキジトラが居る」という事実です。

     この自由猫・キジトラさんには、以前から何度も遭っていて、
     捜索開始後も幾度となく惑わされました。
     実際、目撃情報で引っ掛かった事もあります。


     そして、捜索を続けていくにつれ、
     大野くんに似たキジトラが予想以上に多い事に驚かされます。

     そもそも活発な性質のキジトラは、野外行動が多いのですね。
     「部屋好き」の大野くんが、むしろ例外に近くて。


     ―― 猫を見慣れている人間(私も含め)でも、
         こんなに識別できないでいるのだから、
         一般の方々ならもっと、惑わされてしまうだろう。


     情報の混乱を避けること。
     人とキジトラ諸君に迷惑をかけない。
     ―― この2点で、ポスティング・ポスター等による捜索は、
         実行しませんでした。



     もちろん、その捜索方法を採る飼い主さん達を
     否定する意図で、書いている記事ではありません。
     大野くん探しにおいては、デメリットのほうが大きく
     採用できなかった。そういう経験談です。




ちびカレ



     でも、自分の心の奥に隠れていたものに、
     最近になってから、気づいたのです。
     

     捨てられているチラシや、
     破られたポスターを見たくなかった…


     自分の目で見る機会はそんなにないとしても、
     ポスティングした大野くんのチラシが、
     いろんな広告と同じように捨てられる。
     その光景は容易に想像できて、つらい。



     “効果的な捜索”のため、大野くんを見つけるため。
     本当にそう念じて、行動してきたつもりだけど、
     自分の心が、結局最優先だったんだなぁ…



     昨秋からの捜索方針が、間違っていたとは思わない
     (間違いを認めたくない訳ではなくて)。
     ただ、正しかったとも言えないんですよね。




     冒頭の画像は、捜索に協力してくださっている
     お弁当屋さんのポスターです。
     素人の作品だけど、店頭に貼っていただいています。
     どうしても、大野くんとミライの写真を使いたかった…
     兄妹というより、母娘みたいな姿が愛しくて。





追記: カレンダーは、師走に友人が作成してくれたもので、
     猫好きのお店、親しい方や知人にお渡ししました(押し付け…)。
     








おうちが欲しくない猫

うちに来て10日のミライ



     あくまで個人的な感覚で書くのですが;
     「おうちが欲しくない」猫は殆ど居ない、と
     私は考えていました。

     人の輪に積極的に入り込んできた、
     警戒心の薄い大野くんを家族に迎え、
     ご飯を求めて来る常連だった黒絵を部屋に入れる。
     ―― ふみが逝った後、それまで以上に野良猫に関心を抱き、
     彼らの存在から目を離せなくなった自分は、
     「みんな、好きで野良生活を送っている訳ではないんだ」
     と受け止めたのです。

     誰だって、おうちが欲しいよ。
     空腹を満たすだけでなく、安心して眠れる場所が必要な筈だ。
     
     


うちに来て1か月弱のミライ



     自分のそんな捉え方が、すべての猫に当てはまるとは限らないみたい。

     3年あまり毎日欠かさず“餌やり”を続けている友人によると、
     公園で待っている常連の中には、元・飼い猫も居るそうです。
     しかも、元・飼い主が現れるとプイッとそっぽを向いて逃げちゃう。
     捨て猫→家猫→野良、そういう経歴の持ち主なのかな。

     「親子三代野良猫」という系譜も当然在るだろうし、
     自ら外で生きる道を選んでいる猫も居るのでしょうね。


     そうかぁ…ふみや大野くんのように粘着質な猫と暮らしてきたから、
     世間一般の「猫は自由で気まま」という定義に、つい反発しちゃった。




七夕の夜のミライ



     ↑ 七夕の夜のミライ。
     外に遊びに行ったのかと思いきや、ひとりで寛いでます。
     このカーテンの裏にあるガラス窓は4分の1ほど開いていて、
     もともとは、黒絵専用の出入り口だったのですけどね…


     ミライが来て1か月も経たない頃から、
     私は、「この仔はおうちが欲しかった猫なんだろうか?」と
     度々考えることになります。

     ご飯と寝床さえ確保されていれば、あとは『自由』が最重要。
     『家庭』は必要ないという生き方を、ミライの日常に感じてしまう。


     まあ、怖い物知らずの怪獣で、若かった幼かったから…


     お兄ちゃんである大野くんが行方知れずになり、
     自分はその翌々日に、「剃り被害」(誰かに口元剃られまして)に遭いながら、
     まだまだ、睡眠時間を削ってでも外で遊びまくってたお嬢さまです。



     

3ショットうちに来て1か月のミライ




     10月下旬に避妊手術を受け、その後の安静期間をきっかけに、
     何が何でも、ミライのことは外に出さない事に決めました。

     これは、ミライにとってだけでなく、私自身にとっても“ストレス”です。


     こんなに世の中がコンクリートとアスファルトだらけになり、
     つまり、人間と動物の関係も変化を余儀なくされているのに、
     私は今でも、猫が(犬も)のんびり野外で過ごしている情景を、
     当たり前のように目にしていたいから。


     ごめんよ。人間社会の都合で。



     外出厳禁になってから、もう5か月。
     キャットタワー程度じゃ、怪獣のストレスは発散しきれないよねぇ。
     プロレスごっこの相手をしてくれてたお兄ちゃんも戻っていないし。


     ただ、つまらない上に寒いからか、
     人間相手に甘えるようになったミライです。

     ご飯も大事だけど、「私を見て~」「ちゃんと遊んでよ!」と、
     大野くんと要求が同じになってますね。


     おまえのおうちは、ここだから。
     お兄ちゃんのおうちでもあるから。


     あ…春を過ぎて暑くなったら、どうしよう。
     これが今から頭を抱える問題でして… 
     


歌えない曲が増えていく

16歳になった5月



     11日の夜は、年末年始にタイムスリップしたかのように、
     地元の町は、静かでした。
     灯りは明るくともっているのに、
     どこかガラ~ンとした空気が漂っていて、
     いつも賑わっているお店に入っても、お客さんが数えるほどで…
     そういえば、外を歩いている人自体少なかったですね。

     みんな、祈りを捧げていたのでしょうか…


     仕事から戻っても、部屋でテレビを観る習慣がなくなった
     (地デジ化してないしなあ)私は、
     「今日は『震災の日』というより、『自粛の日』のようだな」
     と、ぼんやり考えていました。

     引き裂かれた人と人、人と動物…




2005年10月9日0時過ぎ


     
     大野くんが戻らないまま3週間が過ぎ、
     11月に入ってしまった頃、
     「もう、焼肉とカラオケには行けないかもしれないな」
     ―― 理性を喪った頭で、ふと現実的に考えました。

     年に数回の、私にとっては贅沢なイベントなんです。

     「願かけの為の○○断ち」とか、“自粛”というものではなく、
     もう、そういう贅沢をしたいと思う気持ちが消えていました。
     実行してもまるで愉しめないだろう事が、わかってしまう。


     焼肉は地元の「○角」ね。
     アンケートに答えて登録しておくと、
     毎年、誕生月に「割引+デザート」の案内ハガキが届くの。

     先週、大野くん宛のハガキが届きました。
     とうとう3月。大野くんが5歳になる3月なんだ。
     (推定で3月23日を大野くんBirthdayとしています)

     ふみの5回目の命日とも重なり、
     先週末は「熊が時季はずれの冬眠に入った」ごとく、
     眠って眠って、起き上がることができませんでした。


     5月には、ふみと私にハガキが届くのよね。
     

     

首輪欲しかった?



     人前で泣く事はしたくない。
     いやいや、独りで泣く事もしたくない。

     “涙活”なんて要らない。

     涙を流すことは、確かに浄化や回帰につながると解っているけれど、
     自分の場合、泣いたらそこで終わってしまう。
     身体と心から、なけなしのチカラが脱けていくんだもの。


     だから、カラオケで自分が泣いてしまうような曲は選ばない。

     
     年々、歌えない曲が増えていく。
     年取って涙もろくなった訳ではなく、歳月と記憶の分だけ、
     以前ならゴキゲンに歌っていた曲でも、
     ある日、涙で歌えないようになっていくのです。


     ふみが亡くなった後、福山雅治の『桜坂』は歌えなくなりました。

     何度かブログで書いているように、ふみは低い声が好きなので、
     よく福山雅治・浜田省吾の曲を部屋に流していました。

     亡くなる前日にも、『桜坂』を歌っていました。

     ふみがアゴを私の腕にあずけた状態で、ずっと。
     あの日、もう時が迫っている事に気づいていたのです。
     臨終の朝より、その一日前のほうがもっと涙を流してた…。



     松任谷由実の『Midnight Scarecrow』
     音痴の私が歌っても、何となく成立する曲(おっと失礼!)で、
     あまり認知度の高くない曲だけど、大好きです。
     ―― 孤独の中のキミへ 失くしたくないキミへ
     もう、歌えないなあ…


     嵐の曲は実は難しいため、カラオケで歌うことはしません。
     隠れた名曲ナンバーも豊富に持つグループです。
     10年あまり前のアルバムに入っている『パレット』が、
     私にとってのたぶん、arashi 第1位。
     想い出を大切にしまうように、閉じていこうとするパレット。
     ―― 閉じたくないんだよ、私は、まださ…
     もう、聴くのもつらいなあ…


     ミライに首輪を着けた時、大野くん、羨ましそうに見てた。
     兄妹おそろいで、あの時一緒に着ければよかったんだね。




14年後のミライの顔かもしれない




     上の写真は、14歳の時のふみ。

     ブログではもっぱら幼少期の写真ばかり載せてるけど、
     冬仕様の毛皮をまとってフクフク育っている、現在のミライ。
     時おり、ハッとするほど、
     ふみに似た表情を見せるようになってきました。



     浜田省吾の『悪い夢』は、自分を慰めるために、
     10代の頃から繰り返し聴き、口ずさんできました。
     時を戻すすべはない。
     悪い夢を見てるみたいだけど。



 

ハダシのミライ

   

生後5週間のミライ



     上の写真は、生後5週間(推定)くらいのミライです。

     肉球がピンクの猫と暮らすのは、実に久しぶり。
     この四半世紀、ふみ&ヒロ姉妹も、大野くんも、
     黒・こげ茶の肉球の持ち主ですから。



肉球



     “肉球フェチ”という言葉があるけれど、
     そもそも、犬好き・猫好きの人にとって、
     “肉球フェチ”は当然ではないか?と、個人的に思います。


     ミライの怪獣ぶり、「破壊神」のような日常はともかく、
     このピンクの肉球には、萌え死にしそうですわ… 



     長く野良生活を送っていた猫を家に迎えた人のお話です。
     家猫になってだいぶ月日が経ってから、
     そのコの肉球がグレーである事に気づきました。
     それまでは、屋外、しかもアスファルトの多い場所で生きていた為、
     そのコの肉球は、ガチガチに硬くなっていて、
     “素足”が現れるまで時間がかかっていたのでしょうね。

     「おまえの肉球は、こういう色をしてたのねぇ…」と、
     その人は愛おしい気持ちいっぱいに、足の裏を撫でたそうです。




生後4か月半のミライ


     
     不思議なポーズで眠る、うちのお嬢さん。
     (巻きグソ尻尾を脚の間に挟んでいますぞ)

     キミの足の裏は柔らかい。
     それは、とても幸せである事の証でもあると思う。
     

言えなかった言葉を



     ふみに対しては、彼女が14歳になった頃から
     「老い先短い婆さんだから…」と、何かと覚悟はしていたつもり。
     
     が、16歳の時に慢性腎不全で急遽入院という事態には、
     激しいショックを受けてしまい、
     なんなの、結局、猫飼い素人ですやん…


     子供の頃から犬猫が家に居る環境だったといっても、
     殆ど世話を焼いていたのは母だったという現実を、
     自分がだいぶイイ歳になってから理解したのでした。


     19歳になったばかりのふみが癌にかかり、
     20歳間近で逝った事を「大往生だね」と言う人もいます。
     それに対して、無言で返す私は、やっぱり頭が変ですか…

お留守番はいやなの




     悔いも反省もずっと残るけれど、
     大野くんが行方不明になった後、
     ふみと大野くんとでは、異なるところに思い至ります。
     (生い立ちと容貌はともかく、性質は同じなのです)


     ふみには、「ありがとう」と「ごめんね」を云っている。
     大野くんには、それを伝えていないんだ、まだ…




泣かないで



     非常にはずかしい話です。

     3年前、私は、外の世界に出られなくなっていました。
     10年間クリニックに通い、転職と失業を繰り返しながらも、
     どうにか“ぐうたら人生”“困窮ライフ”を送っていたのですが、
     あの時は、ダメでした。
     力尽きたというか、床にただ転がっている、廃材でした。


     どうしても、しばらくは働いていく事ができない。

     その現状に、生まれて初めて、
     役所の福祉課を訪ねました。
     とても勇気の要る行動だっただけでなく、
     外を歩くのが困難になっている精神状態の自分には、
     時間と労力をかなり費やす“訪問”でした。

     いろいろメディアで情報を見聞きしていましたが、
     お役所の対応、あの「水際作戦」は効果的ですね。
     一度行って、門前払いを受けた人間は、
     そうそう再訪する気持ちにはなれないと思います。

     提示した診断書も、私が援けを求める訴えも、
     すべて否定されました。まぁ、表面上はやんわりと。

     その後、自分の状況は好転せず、
     むしろ悪化していくほうだったので、
     3か月後、思いきって、同じ窓口を訪ねたのです。
     行動に移せるまで3か月かかった。
     そう言い直したほうがいいでしょう。
     役所までたどり着くだけでも、当時の限界を超えていた…

     前回、「こういう書類をこんな風に用意すれば…」
     と示唆された通り、改めて書類を整えて行ったけれど、
     やはり、申請そのものをさせてもらえず、
     めずらしく、人前で号泣しました。

     役所からどうやって帰宅したのか、
     途中の記憶がなくなるくらい、ただずっと泣いていました。

     部屋に戻っても、涙が止まらず、思考は停止していて…

     すると、大野くんが私のヒザの上に乗ってきて、
     頬の涙に手を置いて、じっと見つめてくれたのです。




僕がいる




     大丈夫だよ。一緒に生きよう
     ―― そう云ってくれたのかもしれません。


     大野くんに、「ありがとう」と「ごめんね」を云いたい。
     その気持ちが心の底にずっとあって、
     彼の姿を探し求めてきた、この5か月です。


     大野くん…伝えたいんだよ…



雪がたり

2014年2月8日~9日の雪(足跡なし)







     師走の頃とはまた違った意味で、
     瞬く間に時が過ぎ去っていったような2月でした。

     皆さんも、大雪で大変だったのではないでしょうか。
     関東南部の自分は、つい過去形で言ってしまうけれど、
     今でも不便でつらい状態に置かれている方々が
     大勢いらっしゃる筈です。




2014年2月9日(轍あり)




     1月は、昨年の延長でまだ捜索活動を続けられました。
     結果が、どれも芳しくないにしても。
     2月は、さすがに身動きがとれなかったですね。
     「日数が少ない月とはいえ、ここまで2月は短いのか…!…」
     振り返ると、そんな1か月でした。


     写真は、1回目の大雪となった、2月9日の早朝のものです。
     前日から夜の間、吹雪いて積もった雪が、
     まだ雪かき作業の始まらない町を完全に覆い尽くしていました。

     外の猫の為に「にゃんこハウス」を設けている方たちも、
     雪と猫の様子に気を揉み、長い2日間になったと聴きます。



冬はあったか気持ち好くないと…



     1回目の大雪の時は、大野くんの事を考え、
     ただでさえ正常じゃなくなっている頭のネジが、
     さらに何本もぶっ飛んでしまった気がします。


     2回目の雪の夜は、
     外で生きる猫たちに申し訳ないと思いながら、
     布団にくるまって、空想にひたりました。
     ―― 大野くんはきっと、こんな夜でも
         どこかの部屋でのったり寛いでいる…




大野くんのウラクロス



     大野くんが帰って来なくなって1週間ばかりの頃から、
     密かに考えていた事があります。

     生後7か月(推定)の大野くんを保護した友人は、
     「公園で遊ぶ子供たちの輪の中に、
      ふっと現れたの」と言っていました。
     
     その様子が不思議な情景になっていたのを想像し、
     大野くんがうちの“家猫”として定着してからも、
     時おり思い出し、むしろ強く胸に刻んでいた自分です。


     大野くんに出逢った友人は、
     ふみを喪って半年あまりの日々を生きる私に、
     すぐさま連絡してきてくれました。
     ―― この仔は、あっちゃんに必要な存在だ
     直感がそう告げたのでしょう。


     だから…
     大野くんを必要とする人のところへ(人間とは限らない)、
     移ることが急に決まったのかもしれない。



寂しかったのかい?




     10月から師走まで、その空想、いや、考えに落ち着くのは、
     現実逃避にしかならないと、度々打ち消してきました。
     でも、5か月が経過する今、私がそう考える事を、
     責めたり咎めたりする声も、脳内で聴こえてこないのです。


     大野くんは、LUCKY BOYであり、不思議な存在です。
     時間か空間か、扉を開けて、何処かに移動したのかな。


     私が彼を「必要としなくなった」と判断したのなら、
     それはとても大きな間違いだけど、
     私以上に、大野くんの援けが必要だという声に
     応えたのだったら、じゃあ、しかたないか…



 蛇足:タイトルは、宮沢賢治の短編『雪わたり』から
     思いついた言葉です。

  
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