この写真、よくよく見ると、
大野くんが私の背中~踵にべったり密着してるんですね。
TVのほうは観たことがないけれど、
エンディングに流れていたという『ヘッドライト・テールライト』は、
一度耳にしただけで好きになりました。
やりきれなくなったり、虚無感に襲われると、
いつのまにか口をついて出ている唄です。
自分のカラオケの定番でもありました…
曲の内容には、いろいろと解釈があるようで
(中島みゆきの曲は、往々にして“解釈論”の対象になるものです)、
まず、タイトルでもある「ヘッドライト」と「テールライト」、
それが意味するものは何なのか?
私なりに解釈していたのは;
テールライトは、少~し先に灯っているように見える、
自分がたどり着こうとしている地、あるいは人。
でも、どこまで行っても距離は縮まらず、
テールライトは遠くに見えるままなんだよな…
ヘッドライトは、反対車線を通り過ぎていく車の灯。
人生は、長い目で見ても、短いスパンで考えても、
“一期一会”に近いものですから、
束の間接点をもち、やがて人と人はすれ違ってゆく…
大野くん探しにひとまず一段落をつけ
(言うまでもなく“終止符”ではないけれど)、
短い春を過ごし、
雨音を聴く機会の多くなった最近、
また、『ヘッドライト・テールライト』の歌詞について考えています。
この8か月の間、自分が追い求めていたのは、
大野くんという「テールライト」だったのではないか。
「あ、あれは大野くんの短い尻尾じゃない?」
アクセルを踏み込んで、接近するたび、
それがよく似たキジトラである事の確認に終わり、
私のポンコツ車体は、交通の流れにも配慮せず、
ぷしゅ~っと減速したものです。
2か月近く、尾行していた時期もありました。
テールライトは、遠く、微かに見えるか見えないほどで、
でも、近づかないことには、大野くんなのかどうか
確証を得ることができません。
この尾行・張り込みは、結局不発に終わっています。
ついに、テールライトの近くまで寄ることができなかった…
―― ポンコツ車体もバッテリーがあがり、
しばらく立ち往生。動けませんでしたわ…
大野くんの視線の先には、いつもミライの姿あり。
ヘッドライトは、情報提供や協力を惜しまずにいてくださった、
人々の灯りです。
対向車線の向こうから、パッシングで合図を送ってくれたり、
僅かな接点でも、大野くんを気にかけてくださる人たちがいました。
そして、自分の車の後ろにも、心強いヘッドライトが見えます。
同じ道の後方から、「弱気にならないで」「信じて進んで」と、
ずっと、いつも、励まし続けてくれる、温かい灯です。
皆さん ありがとう…
旅はまだ終わらない
夜道を歩く時、いつのまにか口ずさんでいる。
耳の良い大野くんは、
私の低い歌声を憶えていてくれるでしょうか…