終生キミと…



             大野くんの写真を選ぶ作業をする度、
             自分と寄り添ったものが多くて、
             泣きそうになる…


   どこの町でも、夕方5時には音楽が響き渡るのでしょうか。
   また、地域によって異なるかもしれないけど、
   概ね「切なくって、もの悲しい」気分になるメロディですか?

   私の帰宅時間は、職を転々としているわりには
   けっこう一定していて、月~金18時半頃。
   
   ふみは、17時のメロディから、
   私の帰宅が近いことを推測していたようです。
   18時前後になると居間を離れて、
   ドアの内側でウロウロしていた様子を、
   妹や客人がよく目撃していました。
   お見送りはまずしてくれないふみだったけど、
   玄関でのお出迎えは日課のようにしてくれたのです。

   高齢である上に、腎臓の悪さが顕著になった
   2005年(当時16歳)頃から、私のほうも、
   17時という時間を気にするようになりました。
   今、ふみは夕暮れのメロディを聴いている…
   私の帰りを待つ態勢に入り始めただろう。
   

   ふみが逝った後も、職場や外出先で迎える17時は、
   特別な時間でした。「もう、待ってはいないのだ」と、
   どうしようもなく哀しい気持ちに襲われる一方、
   「待っていたふみの心」が愛おしくてたまらない。
   週末に、部屋で独りメロディを聴く時は、
   「どんな気持ちで、これを毎日耳にしていたんだろう」
   と、やはり胸が潰れそうになる…。


   現在2年目の派遣先。
   その街でも、17時に音楽が響き渡ります。
   自分の地元とは違うメロディで、
   17時が退社時間でもないんだけど、
   心を帰宅モードにするスイッチの役割を持っていました。

   「ました」と過去形なのは、10月8日を境に、
   自分の内部から“平穏”というものが、一切消えたから。

   今、職場のデスクで夕暮れの音楽を聴く時、
   「大野くんは地元のメロディを聴いているのだろうか」
   と考えます。あのメロディが聴こえる範囲に居るのか。
   居るなら、どんな状態でどんな気持ちで聴いているの…

   平日の日中は、それでも目の前の仕事に没頭するから、
   まだ気持ちが楽なほうです。
   いや。大野くんの心を思えば、自分は楽と無縁でいい。

   週末が精神的にこたえますね。
   時間があるようでいて、実際のところは、
   精力的に捜索活動を実践できている訳でもないので
   (近隣の聞き込みは手詰まりです)、
   17時のメロディを部屋で聴くことが多いのです。
   ―― 胸が潰れます。

   耐えられなくなって、17時過ぎに部屋を出ると、
   いつもどうしても引っかかりを覚える場所を、
   何度もふらふら歩き回っている自分がいます。
   気がつくと、小声で名前を呼んでいる…