110515_2013nov



   大野くんが行方知れずになって1週間経つ頃から、
   自分の胸にしきりと浮かぶものがありました。

   桐野夏生の直木賞受賞作『柔らかな頬』と、
   私の大好きな小説『リミット』(作家の野沢尚氏は自殺されています)。
   
   “言霊”の威力を信じているだけに、
   書くのは勇気が要るのですが、一方でまた書かずにはいられない…

   2作品とも、子供の失踪を描いたフィクションです。

   『柔らかな頬』は、事件なのか事故なのかも判らないまま、
   忽然と姿を消した娘の行方を追う、
   母親の彷徨の物語。
   生きているのか、死んでいるのか。
   最後に「これが真相なのかな?」と思わせる描写があるけれど、
   真相の種明かしより、さすらう母親の魂に焦点を当てた作品だと、
   読む人は感じるのではないでしょうか。

   『リミット』の場合は、明らかに誘拐事件で、
   主人公(女性刑事)とその息子に喘息の持病があるところに、
   個人的に感情移入して何度も読み返してきました。
   今よみがえるのは、連続誘拐事件のうちの1件で、
   息子をさらわれた父親のエピソードです。
   親子3人で出かけた大型遊園地で、白昼堂々
   男の子は連れ去られ、身代金要求もないまま、
   事件は迷宮入りの気配を漂わせます。
   家庭は崩壊し、“同志”であってほしい妻は去りました。
   父親は、私費を投じて牛乳パックに息子の写真を載せ、
   職場の理解を得て、在宅勤務の生活に転換しました。
   いつ息子が帰ってきてもいいように、
   玄関のカギはかけないまま…。

   「二日酔いでぐったりしていたとはいえ、何故あの時、
    自分は息子を独りでトイレに行かせてしまったのか…」
   繰り返し、父親は自分を責めるのです。
   読み返す度に胸が痛み、その自責の念について
   理解できる気がしていました。
   でも、今になって思う。
   本当は私、理解できてなかったんだよ。
   あの頃、自分の胸に在ったのは、たぶん“共感”だ。
   

   思いきって近所の聞き込みを始めた、ひと月前。   
   突然の初訪問なのに、長く話してくださった奥さん。
   「生死が判らないのが一番ツライよね」
   「何をやっても楽しくないでしょう…」   
   彼女自身が私と同じことを体験しているそうです。

   知らないほうが幸せだなんて、私は思わない。

   昔、ある元・競走馬の所在を調べようとしていた時、
   関係者から
   「世の中には知らないほうがいい事もあるんだよ」
   と諭されました。
   もちろん、親切心で言ってくれた訳ですが、
   その頃から私は、「知らなくていい事なんか無い」と
   頑なに考えてきました。
   それは今も変わりません。

   知らないでいることのほうが、よほどツライのです。

   
   キミはストーカー気質だからなぁ。
   私が苦手とする事をあれこれ実行に移す様子を、
   電信柱の陰からこっそり観ているような気もする。
   もうさ…十分じゃないか。これで満足だろ?
   「僕のために、不精なあつぶこが行動してる。
    僕ってこんなに大切に思われてたんだ」
 
   頼むよ、もう。リミット…