2005年6月17日



    大島弓子の『グーグーだって猫である』は、
    コミックの文庫版を3巻まで買って、
    その後発行されたものには手をのばさないままだった。
    
    単行本として出るまでにけっこう時間がかかり、
    各巻の「あとがきマンガ」でも、
    作者がそういう状況を詫びているくらいなので、
    「いつか出るだろう」「いつか読めるだろう」と、
    こちらも、のんびり構える態勢になっていた。

    ファン歴が長くなると、みんな気が長くなるもんだ。





50時間失踪から1か月



    ただ、シニア猫になっている筈のグーグー(1995年生まれ)。
    彼のシニアライフは気にかかり、
    心の隅でたまに、「どうしてるだろう?」と考え込む。

    2年前、320グラムのミライを迎えてから、
    「毎日がてんてこまい」になってしまって、
    大島家の猫たちの事は、しばし遠いものになっていた。


    大野くんが居ない2度目の大晦日。
    でも、大野くんが無事に暮らしている事が、
    ほぼ確認できた状態だったので、
    1度目よりは悲痛さのない、昨年の大晦日。

    大掃除もせず、ふらふら外出して本屋に入ると、
    探していた本より先に、
    『グーグーだって猫である』の文庫版新刊の背表紙が、
    ぐぐっと目に飛び込んできた。
    そう。ホントに、飛び込んできた感じなのよ。

    指先が、本に触れる前に、予感があった。
    手に取って、本の裏側の解説を斜め読みしたら、
    その巻が「グーグー」シリーズの完結編だという。

    中を開かなくても、解った。
    グーグーは…

    文庫版の後ろの頁だけ読んでみた。
    簡潔な線のマンガと、短い台詞で、
    グーグーの病死が描かれていた。
    あえて、感情を排除した「報告」になっている。

    グーグーは、東日本大震災の翌月に、
    腎臓の病気で亡くなっていた。
    15歳半ではなかっただろうか…







生後3か月

                      生後3か月のミライ。ちょっと凛々しい




    「グーグー」マンガはこれで終わり、となっている。
    私は、グーグーの訃報(3年半遅れ)に触れた後、
    本を棚に戻しながら(買わないのかよっ)、
    ぼんやり考えていた。

    彼女はもう、マンガを描かないつもりかもしれない。

    サバの死後、たぶん
    大島弓子はストーリー漫画を発表していない。

    彼女の砂漠をオアシスに変えた、グーグーとの生活を
    マンガで描いて世に出していた。もっぱら。

    そのグーグーを喪った、彼女の心を想像してみる。

    
    グーグーに次いで、続々と彼女は猫を引き取り始め
    (ペットショップで買ったのは、グーグーだけだと思う)、
    引っ越し先の一戸建ては、9匹の大所帯になっていた。
    
    残された猫たちが居るのだから、
    さすがに、心は砂漠にも荒れ野にもなっていないだろう。
    
    それでも、喪失感の深さを埋めることは難しい。
    「連載終了」は、主役の退場が理由では、もちろんない。


    作者の心から、「描く気持ち」が空へたなびいていく。
    彼女が、猫と暮らした30年近い月日のぶんだけ、
    長く、ほっそりした煙が見えるようだ。