「大野くんが暮らしている」
    ―― 私がそう思い込んでいる場所。

    これは縁、それも濃い縁なんでしょうか。
    私の通勤ルートの途中に、
    その部屋は在ります。

    朝は必ずそこを歩いて通るし、
    帰りも週に3日は通ります
    (ペットショップ等、帰りに寄るお店によって
     ルートも違ってくるのです)。

    道路に面したその部屋の前に、
    大野くんに似た猫が居るのを見たのは、
    たった2回。それも、もう1年半も前。
    ずっと見てない。
    ずっと逢っていない。


2011年5月21日





    毎朝、道路からチラッと部屋に視線を送る。
    それで、飼い猫の姿をとらえるのは難しいけど、
    覗き込むようになってしまうのは止められない。
    不審者の挙動だなあ。
    でも、どうか通報しないでください。

    それだけ、前を通る時は必死だった。
    大野くんの姿を見たくて、しようがなかった。
    せめて逢わせてほしいと、毎日念じてた。

    それが…今年に入ると、
    つまり、大野くんが失踪してから1年3か月くらい経った頃、
    気がつくと、例の部屋を通過してしまってる事がある。
    ぼんやり歩いていて、通り過ぎてしまってから、
    「あ!」と気づくのだ。
    部屋の前、ベランダの所を見るのを忘れちゃった…!

    覗き込むように道路から視線を送るのも胸が痛かったけれど、
    その習慣をうっかり忘れた時は、もっと胸が痛くなる。
    
    自分の心が少しずつ、岸辺を離れているのか…
    大野くんを探し求める岸辺から、静かに離れていく…

    時間が、そうさせているのかもしれないね。

    ただ、気持ちはそんなに楽になってはいないんだが。


    例の部屋をうっかり通り過ぎてしまう事が増える一方で、
    「大野くんはいつか帰宅する筈だ」という想いが膨らんでくる。

    たぶん、時が来たら、大野くんは還ってくる…
    それまで待とう。



2013年6月18日その2




    ――そんな風に淡く微かな希望を胸に抱いていたら、
    イオが現れた訳です。
    大野くんと同じキジトラのね。

    う~ん。大事に胸に抱えていた希望とは、違っちゃった。
    
    ミライもがっかり…というのではなく、
    ただただ「青天の霹靂」だったんでしょうなあ
    (ごめんよ、すまない!)


    でも、イオに罪はないのよ。