文世さんに逢いたい

「婆猫ふみちゃんのスローライフ」を綴りたくて、 2004年から始めたブログですが、
ふみは2009年3月に19歳10か月で逝きました。

黒絵の未来

ミライ登場2日前の大野くんと黒絵


                     ミライ登場の28時間前、大野くんと黒絵




    ミライの誕生日が過ぎれば、
    黒絵がこの部屋で「完全室内生活」を送り出して
    丸1年という事になります。

    長かった。
    決して「あっという間だった」とは言えないですね。


    2年半、24時間いつでも自由に外と屋内を行き来していた。
    その自由が昨年、唐突に遮断されてしまったのだから
    (黒絵の警戒心を考慮すると、
     段階的な「室内飼い移行」は困難だと判断しました)、
    そりゃあ嘆くよ。若さも元気も十分備えた、現役だもん。




2012年3月24日

                黒絵ちゃん、カッカしないで。血圧測ろうか?



    黒絵の戸惑いと、「外へ出たい」欲求は、
    鳴き声となって深夜の闇に響いていました。
    嘆きの声、唸り声。
    すまないなぁ…でも、少し眠らせてくれないか。

    「動物は話せば解ってくれるものよ。
     身勝手な人間(ある特定の人々を指している)より、
     よ~っぽど心が通じるんだから。
     信じて、踏ん張ってみて」

    ―― このブログのねこ友さんや、
    大野くん探しを通じて知り合った「猫の達人」さん方に
    励まされながら、睡眠不足の初夏と梅雨を、
    どうにかしのいでゆきました。


    恐れていたのは、黒絵のストレスが暴力となって、
    ミライに向けられる事でしたが、
    その点は大丈夫でした。

    “杞憂”だったとまでは言えません。
    黒絵は我慢してくれたのだと思います。

    この部屋の寝床と餌場は、喪いたくない。
    彼なりに、考えて、衝動や欲求と闘った結果、
    「しぶしぶ家猫になる」事に落ち着いたのでしょう。





失踪10日前の二匹

              “お猫好し”の大野くんでも、お気に入りの場所は譲らない…



    黒絵の完全室内飼いが成功したのは、
    それまで2年半の「半分家猫、半分野良」生活が、
    下地として在った事が大きいでしょう。
    そして、人間と暮らす事も悪くはないと、
    大野くんを通して黒絵が感じていたのではないでしょうか。

    いつだって、なんだって、つくづく大野くんに感謝!


    黒絵は、確実に憶えている。大野くんのことを。
    大野くんの還りを待つ気持ちは、私と一緒です。






ミライの未来

お兄ちゃんの居場所



    今年3月~4月の天候には、奇妙な印象を受けました。
    印象というより、体感そのものですね。
    関東の身近なエリアの様子しか把握していませんが、
    3月に「5月中旬並み」の陽気になったかと思えば、
    4月には10℃を切って冷え込む、
    気温差が10℃以上開く、しまいには雪が降る…

    お花見も十分に楽しめなかったんじゃないかな。
    あまりに儚い桜だった…


    
    わが家の「“桜色の未来”を持っている」ミライは、
    もうすぐで満2歳になろうとしています。

    一昨年、ミライを部屋に迎えた時に、
    「あ~…この先20年、共に生きていくのか…」と、
    なんとも複雑な気持ちにさせられました。
    動物の成長に関わってゆくのは味わいがあるけれど、
    自分自身の将来を考える度に、嘆息してしまう。
    絶望感に襲われる…というのが、正直な気持ちなんです。

    ましてや、大野くんが、
    ミライと私のそばから居なくなる将来なんて
    想定してなかったよ…!
    
    



まだ幼い1歳





    大野くんのお気に入りの場所だった、ベランダ側で
    寛ぐことが多くなったミライ。
    写真に写っている白い容器は、大野くん愛用のごはん皿。
    大野くんが行方不明になってすぐ、
    教わった“おまじない”の言葉を裏側に書きました。
    今も、そのままにしてあります。


    チビ兄ちゃんが居ないまま、2回目の誕生日を迎えるのか…
    云っても詮無いとわかっているけれど、
    いつもいつも、大野くんの不在を嘆き悲しんでしまう。

    はたしてミライは、チビ兄ちゃんの存在を憶えているのでしょうか?


    一時は、「おうちが欲しくない猫」に見えたミライも、
    今ではすっかり、「完全室内」「インドア」猫で、
    外へ出たがる様子も殆どありません。

    しかも、けっこう“甘えっ子”になっています。
    ご飯と遊びを求める時、相変わらず獰猛で騒がしいんですが、
    愛情を求める時も攻撃的なんですよね。
    ギャーギャー喚いて、甘えてくる… 




キャットタワー





    先週の日曜日。
    8年ぶりに、日帰りで遠方の競馬場に行ってきました。
    ふみが逝ってから、初めての競馬遠征でした。
    
    日帰りで関西の競馬場に行く際は、
    だいたい15時間部屋を空ける事になります。
    それが、今回は、惨敗で心が荒んでいた事もあり、
    途中で飲酒して(見知らぬ土地のファミレスで独り)、
    結局、18時間近く留守にしてしまったんですよ。

    通常、仕事に出る平日、
    ミライと黒絵のお留守番は11時間弱。
    だから、ミライにしてみれば、今回の18時間留守番は
    だいぶ長く感じられたのでしょうね。
    
    「ただいま~ごめんねぇ、遅くなって」
    とドアを開けて部屋に入ると、まもなく
    ミライがギャーギャー喚きながら迎えてくれました。
    ご飯はたっぷり置いていったのに、
    それらはけっこう残っている状態です。
    空腹とは関係ない、怒りと抗議。

    むしゃぶりついてくるミライの目に、
    涙がいっぱい溜まっているのを見て、
    「あぁ…ごめんよ」と、心から謝りました。

    ミライは、ますます、ふみに似ていく。
    どうしよう…
    どうしようも何も、責任もって共に生きていくしかない。
    頭で解ってはいる、当然の事なのに、
    日々悩んでしまうのです。

    

桜を待つ季節

2012年1月15日



    2014年の後半、このブログに全く戻って来なかったなんて、
    自分でも驚いています。
    ため息を通り越して、動悸がするくらい…
    2014年のうちに、必ず更新するつもりでいたのに。

    戻って来ないなんて、大野くんみたいじゃないか。

    ようやく更新したけれど、それが嬉しいお知らせを伴うものじゃなくて、
    申し訳ない。大野くんは、依然として“不在”であります。

    2014年6月のブログアップの後、
    変わった事といえば;
    掲示をお願いしていた「迷い猫」の貼り紙が、
    完全に消えた事、でしょうか。


    大野くんはたぶん、あるマンションの1階で暮らしています。

    2014年1月と2月、大野くんに似たキジトラを目撃しました。
    どちらも、仕事帰りの夜道ではありましたが、
    「今まで遭遇したキジトラの中で、一番似ている…」
    いや。本物の大野くんなんじゃないだろうか?
    そのぐらいソックリに思えたのです。

    1月の夜は、ある部屋のベランダの中に去っていき、
    2月の夜は、同じ部屋のベランダ前に座っていました。
    1回目は、興奮を隠せない人間が迫ってきて戸惑ったでしょう。
    2回目は、逃げずに、でも距離を置いたまま対峙してくれました。

    小さく、大野くんの名前を呼んで、距離を縮めようとしたけれど、
    そのとてもよく似たキジトラは、私が誰か判らない様子です。

    経緯を知ったねこ友さんが、
    どんなに人馴れして、可愛がられていた猫でも、
    自分のテリトリーから外れた場所では、
    長年暮らした人間を識別する事が難しくなってしまうのだと、
    教えてくれました。

    そうだな…無理もない、と思えます。
    あれが大野くんだとして、行方不明になって3か月~4か月の
    時間が経過していました。私にとって長い月日だったのだから、
    猫にとってはいっそう長いブランクです。


    大野くんに“激似”のキジトラは、首輪を着けていました。
    偶然にも、ミライの首輪と同じものです。
    生後2か月半のミライに首輪を装着している時、
    大野くんは羨ましそうに見つめていた。
    それと全く同じモノを身に着けている、“激似”キジトラくん。

    その後、いくつかの目撃情報を得て、
    9月にはようやく、“激似”キジトラくんが大野くんであると、
    確信するに至りました。
    
    100%確定とは断言できないのです。
    “激似”キジトラくんが暮らしている部屋の住人さんに、
    直接尋ねてみれば、真相は明らかになるでしょう。
    でも、それを実行することはためらわれます。

    あのキジトラくんが、もし大野くんであった場合、
    部屋の住人さんにとって、私の訪問は
    歓迎できないものかもしれません。


    考える月日のほうが、足を使って探し回った月日より、
    長くなっていました。

    私は、「大野くんが幸せに暮らしている」と安堵する、
    日常を選択しました。
    そこに落ち着くことにしてみたのです。

    もちろん、迷いは今も絶えず
    まとわりついてきますけれども…




    
ちび兄失踪の24時間後


    

旧い日記

10年後のふみとキツネ



     16歳の時からぽつりぽつりと書いていた日記。

     日記と呼べるペースで向かってはいなかったので、
     数え直してみても、たぶん十数冊にしかならないと思います。

     それでも、思いついた時にノートを開いて、
     1994年までは続いていた手書き日記です。


     その後、生活環境が激しく変化したせいか、
     日記を書く余裕がまるでなくなりました。


     


震災から一年




     2004年春。ちょうど10年前。

     シンプルなノートパソコンでうつうつ用を済まし、
     インターネットというものとほぼ無縁だった自分も、
     ついに思いきって環境を整えました(ローンは苦しかった…)。


     振り返ってみると、意外にネットサーフィンはしませんでした。
     当時、プロバイダーが会員用に設置していたコミュニティで、
     まず日記を書くことから始めていました。
     きっと、とにかく何か書いていたかったんでしょうね。



   

大野くんの母性





     数年前、そのコミュニティのサービス提供が終了する際、
     Cafe友さん(OCN cafe という場でした)の奨めもあって、
     ログの保存⇒プロバイダーブログへの移行という手続きを、
     取り急ぎ済ませました。


     2005年秋から、現在のこちらのブログのほうがメインになってしまい、
     Cafe日記のほうは、ほとんど書かなくなっていました。
     それでも、ログの保存後、確認してみたら、
     1年半の間に、約150記事くらいは書いていたようです。


     週末に、昔のCafe日記の一部を読み返してみました。
     ふみが逝った後、形ばかりの更新しかしていなかったので、
     自分の過去日記を読むのは、数年ぶりです。


     「意外と明るく、前向きに取り組んでる日記だったなあ」
     ―― というのが、自分自身の感想です。


     意識して、荒れた中身にしないようにしてたのかな…
     高齢のふみと暮らしながら、まだあの頃、
     『絶望』の二文字はくっきり顕れていなかったのかもしれない。




2014年4月12日15時






     日記の冒頭、つまり最後に書いた記事が、
     『大野くん』の紹介で、沈痛な気持ちにもなるけれど、
     あらためて、ミライ・黒絵と、
     大野くんの帰宅を待とうと思いました。


     婆猫ふみちゃんのスローライフ 


    
今は、スローライフとは程遠く、
     毎日ヘロヘロになって、テンパってますが…


うつむいて歌おう(独唱)



2011年1月の大野くん「




     大野くん探しの過程で、
     彼のチラシを見た人から「可愛~い♪」と言われると、
     嬉しさより戸惑いを感じたものです。


     「捜索中の猫をほめられても…」と、
     そんな心境で複雑な気持ちになったのではありません。


     同居人として、大野くんの容貌を
     「可愛い」範疇に入れてなかったんですよね。





手のひらゴハン


              キャッチャーミットのように分厚い手は、私です…



     大野くんの顔は、ファニーフェイスというのかな。
     コミカルな顔立ちだと私は受けとめていました。


     「ふみと比べちゃうからかもしれないけど、
      率直に言うと、ルックス面ではそれほどでもない仔だね」
     ―― なんと、大野くんを私のために保護してくれた親友に、
         こんな失礼な言い方をしていたのです。



     ひゃあ~!!この罰当たり。
     あ。そうだよ、遂に昨秋、天罰が私に下ったんじゃないか?





上を向いて




     大野くん探しを始めてから、
     「とても似ているキジトラ」が目撃され、
     その情報をもとに、該当する猫に対面を果たす度に
     (不思議なもんで、「猫違い」キジトラとは遭遇できるのです)、
     「尻尾、口周り、主要な特徴は一致しているけど、顔が違う」
     という体験が重なっていきました。


     顔の違い…そう、大野くんは、もっと愛嬌のある顔なのっ 



     声に出して言うことはできません。
     だって、彼のことを気にかけてくれていた人が、
     見つけようとして、教えてくれた成果なんだもの。
     そこに感じるのは、落胆よりも、ありがたみです。



     逢えば、わかる。
     言い換えると、逢わなければ判らない。



     季節は、早くも夏へとペダルをこぎ始めたようです。

     日がのびて、職場から地元の駅に着く時刻、
     まだ陽射しが去りきらず、
     少しずつ明るさが残るようになりました。


     
大野くんメールフォーム











     家路をたどっていると、大野くんの姿に出逢えそう。
     そんな気持ちが、懲りずに育っていきます。


     部屋でお腹を空かして待つミライを気にしつつ、
     あえて歩調をゆるめて、住宅街を歩いていきます。


     低い声で小さく歌いながら、ゆっくりと…


     いつも、キミのことを想いながら、歌っているんだよ。



目の前の存在を愛せよ



9年前のふみ抱っこ



     ちょうど9年前のふみです(16歳になる直前)。
     性質の殆どが私と同じだったふみ(粘着質・非社交的)は、
     スキンシップも苦手。

     当然、抱っこは大嫌いなので、
     これは貴重な写真かもしれません
     (キイロイトリがコリラックマに後ろから羽交い絞めにされている、
      そのポーズは“イヤイヤ抱っこ”と呼ばれるらしい…)。




     正気を喪いながらも、師走の頃からでしょうか、
     心の奥で気づいていた事があります。


     ―― 自分はいつも、目の前の存在を大切にしていない。





2012年1月22日




     大野くんと暮らした4年間。
     厳密には、完全な“ふたり暮らし”だった2年間。

     ふみの後に、自分の為に来てくれた彼が、
     「特別な存在」であると認識しながらも、
     現実の対応は、けっこう“雑”だった気がします。


     そういう自覚が、時おり胸に浮かびあがり
     (時おりかよ~  )、
     大野くんの(ストーカー的)愛情に応えていない自分を、
     反省することが幾度もありました。



     言い訳になりますが;
     動物と暮らす日常に馴れると、
     彼らへの対応(各種世話、ご機嫌とり等)が、
     どうしても、ルーティン・ワークになってしまうんです。
     好く言えば、「生活にすっかり定着している」状態。


     高齢であるふみに対しても、私のそういう、
     “雑”な、ルーティンワーク対応というのはありました。
     

     「ふみの為だけに生きていた日々」が、
     「大野くんの為だけに生きる日々」に自然に移行。

     でも、そのわりには、気がつくと、目の前の大野くんより
     私を置いて逝ってしまったふみの事ばかり考えていました。


     「ふみの存在しないこの世に生き続けるなんて…」と、
     これは毎日のように思っていましたね。


     ストーカー・大野くんが、就寝後も執拗に甘えてきたのは、
     たぶん純粋に、私の愛情を欲してくれていたのだと思います
     (相変わらず、親バカですが)。


     励ましてくれたのに。
            支えになってくれたのに。


     大野くん失踪まで、
     ブログのメインは依然、ふみでしたもんね。
     それまでの4年間、大野くんの記事&写真は少なすぎる!!
     


     上の写真は、ちょうど、今の仕事の採用が決まる前夜。
     大野くんが居たからこそ、現在があるのでは…

     



生後7週間のミライ


                   ミライ「お兄ちゃん、帰ってくる?」
                   私  「うん。必ず帰ってくるよ」



     大野くんが行方不明になった途端、
     彼が「特別な存在」である事を猛烈にアピールしだして、
     「面の皮が厚い」というか(これはもともと)、
     「都合の好い事やってるよなあ」と、
     大野くん探しにとり憑かれた自分を、
     冷ややかに観る、もう一人の自分が居た気がします。
     過去と現在を比べて。


     そんなに大切にしてなかったじゃんか。
     目の前の大野くんより、ふみの事ばかり想ってたくせに。


     大野くんが天寿を全うするのを見届けるより、
     大野くんに、死に水を取ってもらおうなんて、
     孤独死を前提に夢想していたじゃないか…


     ―― だから、大野くんが私を見限ったのかもしれない。




大雪を過ぎた頃のミライ




     ブログを書いたり、大野くん探しのチラシを作成したり、
     そのためにパソコンに向かっている時、
     自分の後ろに、いつのまにかミライが来ています。

     たいていは眠っているんだけど、
     最近ではよく、お腹をどーんと見せて、
     甘えるポーズをとるようになりました。

     ハッとさせられて、胸に痛みが走ります。
     お兄ちゃんお得意のポーズではないか…


     上の写真は、2月。
     2度の大雪が過ぎ去った頃のものです。

     すっかり肉付きがよくなって、
     “怪獣”ミライも、かつてほど俊敏ではなくなりました。


     が。狂暴でなくなった訳ではない。
     それに、鈍重な私が油断できるほど、
     彼女の俊敏さは失われてはいないのです。

     
     やっぱり、ミライの遊び相手を務められるのは、
     大野くんしかいない。
     とても疲れるだろうけど。


     そして、今はまだどうしても、
     目の前のミライより、私は
     「旅に出ているキジ寅さん」に、
     心の根っこを奪われたままなのです。





春にうごめく、闇

17時19分18秒


                   2013年7月6日17時19分18秒



17時19分40秒


                   2013年7月6日17時19分40秒




     こんなに、お兄ちゃんのストーカーになりきっていたミライ。
     おまえの記憶の中で、お兄ちゃんは今、どうなっているの?


     情報が少しでも集まらないかと、
     しばらく、県内・市内の地域バナー(ぶろぐ村)を貼っていました。
     結果は、まぁ、さっぱり…これも、“情報”の一つですね。

     久しぶりに、本来の「派遣社員」バナーに戻すことにします。
     3月あるいは4月にはそうしようと、決めていました。


     現在の派遣就業は、3年目に入っています。
     振り返る2年間は、あっという間に過ぎたようでも、
     いろんな思いの詰まった月日です。


     濃い、というより重い。
     好きで選んでいる仕事だし、自分のためにもなっている
     (経済的には、それほど割の良いものではありません)。
     だから続いてきたし、続けていきたいと考えています。


     ただ、やっぱり3年間が区切りになるのではないか…

     改正される派遣法は、必ずしも派遣という雇用形態で働く側を
     護ってくれる訳ではないのですよ。
     派遣先・派遣元が困る事態には、きっとなりません。


     「派遣を選んでいる本人の意思」が、結局問い質される。

     間接雇用を選ばざるを得ない、社会の状況を踏まえつつも、
     派遣スタッフに対する偏見というのは、存在します。


     それでも、自転車がこげなくなって、倒れる所まで、
     この道を進んでいくしかない、現在の自分です。


     

生後2か月のミライと大野くん




     現在の職場で1年間が過ぎ、2年目に入ってからもしばし、
     悶々と悩む日々が続いていました。


     「ここで自分ごとき低スペック人間は、通用しないのではないか」
     ―― この不安と自信の無さは、1年でだいぶ薄らぎました
         (1年もかかってんのかいな!)

     常に、「必要とされない存在だ」と陰に籠るネガティヴ王だけど、
     仕事面では、かなり必死で、努力したのです(当然の事ながら…)。
     

     白髪が増えるという代償程度で、業務そのものに対しては、
     毎日、毎回悩みながら、「とにかく乗り越える」下地が
     心にどうにか出来上がったようです、お蔭さまで。



     問題は、自分の人生最大の弱点、対人関係ですかね。



     表面上はともかく、内心ではずっと荒れて、あがいていて、
     脱け出せない迷路、魔の洞窟に棲みついていた日々があります。


     しまいには、定石どおり自分自身が嫌いでたまらなくなるし、
     着実に、自分の内部に“毒”が溜まっていきます。


     “毒”は、人から受ける場合もあるけれど、
     たいてい、私の内部で生成されるものばかりです。
     そして、それを親しい人につい浴びせてしまう…!


     昨年のちょうど今頃、大野くんが初めて吐きました。

     うちに来て3年半、一度も吐いた事がなかった大野くんです。

     だから、よけいに驚き、心配しました。
     しかも、胃が空っぽになるまで、何度も苦しそうに吐いて。

     
     「猫はしょっちゅう吐くもんですよ」と、馴染みのドクターは
     あまり心配しすぎないようアドバイスしてくれました。

     でも、ふみの時に、嘔吐と腎機能低下の因果関係に気づかず、
     無頓着に見過ごしていた罪悪感が残っているので、
     念のため、血液検査を受けることにしました。

     結果は異常なし。大野くんは、採血時つらそうだった…


     今になって思えば、あの頃、私が毎日部屋で放っていた毒に、
     大野くんが侵されてしまったのかもしれません。

     一番近くに居た、960ピクセル以内の間柄なだけに。
     ごめんよ。すまなかった…大野くん。


 



              保護1か月弱のミライと黒絵


          「金は持ってきたんだろうな?」と、脅している訳じゃない黒絵。



     その後、職場の環境と人間関係に変化があり、
     私は、毒を生成する日々から解放されました。


     5月下旬にミライが来たことで、日常が慌ただしくなり、
     職場では仕事以外の事でもう、悩む余裕もなかったのです。


     ミライの育児をする日々の中で、
     大野くんの嘔吐は、コンスタントにありました。

     片眼がウィルス感染で開かなくなったり(これは以前から)、
     レントゲンで肺に炎症が見つかったり…


     よく頑張ってくれていたよ。

     感謝してもしきれないのだが、大野くんはもしかして、
     もう、この部屋にあまり好い想い出がないの?



フーテンのキジ寅さん


旅もいいな…




     大野くんの誕生日(推定)である23日に、
     川を越えた市内北部へ、足を運びました。

     昨年11月と師走の遠征から、3度目、3か月ぶりです。

     お気に入りの稲荷神社に寄ると、
     猫に3匹も逢えました。
     昨年は全く姿を見かけることができなかったのに。
     日も長くなったし、暖かくなった証拠だなあ…。

     最終的な目的は、
     「大野くん探し」よりも、病院へのご挨拶にありました。


     ご近所でも、かかりつけでもない。
     それなのに、真正面の目立つ場所に、ずっと、
     5か月以上貼りだしていてくださった病院でした。

     「本当に長い間、貼り出してくださって、
      有り難うございます。お世話になりました」

     もう、はがしてくださって結構です…
     理由は付け加えず、それだけ言いました。


     院長先生もスタッフの方たちも、
     何も尋ねることはしませんでした。
     こちらの表情を見れば、少なくとも
     「見つかった」訳ではないと解ったことでしょう。


     ゆっくりお辞儀をして病院を出ると、
     しばらく経って涙が出てきました。
     





食うミライ、見守るチビ




     2か月前。知人を通して、
     霊感のある人(それを職業にはしていない)に、
     大野くんの事を視てもらう機会がありました。


     知人も猫好きで、数年前ふみと同じような癌で
     愛する猫を喪っていますから、
     大野くん探しで気がふれてしまっている私を、
     見るに見かねて、手助けしてくれたのだと思います。


     大野くんの写真を何枚か委ねたところ、
     “先生”に視えたのは、
     「悪意のない人に保護され、可愛がられている」
     大野くんの姿でした。

     保護主は、迷い猫チラシの存在には気づいているようだけれど、
     今となっては大野くんを手放せなくなっている、という事です。



     これは、私が「そうであってほしい」と願っていた、
     大野くんのその後の暮らしぶりです。



     私に絶望より希望を与えたいという、知人の気持ちも、
     もしかしたら、写真に乗っていたかもしれませんね。


      



迷い猫掲示板閲覧中?




     この“霊視”には、まだ続きがあります。

     1月末に取り急ぎ視てもらった時は、
     メールに添付した写真と、このブログが“媒体”でした。


     それから約半月後、知人が今度は直接、
     “先生”に大野くんの写真を視てもらったのです。


     すると、前回よりも“先生”は少し考え込み、
     「このコは、旅に出ている…」と呟きました。


     「え?どういう事ですか?」と、尋ねる知人。
     それに対し“先生”は、
     「探している人には、そのように伝えてほしい」
     と言い残したそうです。


     それを知人から伝え聞いた私は、
     「あ~…」と、妙に納得してしまいました。


     どうしてでしょうね。
     これが、10月・11月の段階だったら、
     同じ答えを聴いても、私の受けとめ方は
     違ったかもしれません。


     時間が流れたんだなあ…



     独り納得顔の私に、知人が
     「じゃあ、『フーテンの寅さん』みたいな感じ?」
     と、言います。


     「そうね。待ってる妹分も居るしね」と私。

     
    




仔猫モデル




     さくら…じゃなくて、ミライという、
     妹のように可愛がっていた仔と、4年間暮らした部屋と、
     私を、ある日ふと思い出してくれないかなあ。


     でも、何度でも云おう。
     大野くんの現在が幸福なのであれば、
     それが一番なんだよ。
     これは、かっこつけて云ってる訳じゃない。


     迷子掲示板やブログをチェック。
     そこまでやってくれると嬉しいよ、大野くん…


     

ハダシのミライ

   

生後5週間のミライ



     上の写真は、生後5週間(推定)くらいのミライです。

     肉球がピンクの猫と暮らすのは、実に久しぶり。
     この四半世紀、ふみ&ヒロ姉妹も、大野くんも、
     黒・こげ茶の肉球の持ち主ですから。



肉球



     “肉球フェチ”という言葉があるけれど、
     そもそも、犬好き・猫好きの人にとって、
     “肉球フェチ”は当然ではないか?と、個人的に思います。


     ミライの怪獣ぶり、「破壊神」のような日常はともかく、
     このピンクの肉球には、萌え死にしそうですわ… 



     長く野良生活を送っていた猫を家に迎えた人のお話です。
     家猫になってだいぶ月日が経ってから、
     そのコの肉球がグレーである事に気づきました。
     それまでは、屋外、しかもアスファルトの多い場所で生きていた為、
     そのコの肉球は、ガチガチに硬くなっていて、
     “素足”が現れるまで時間がかかっていたのでしょうね。

     「おまえの肉球は、こういう色をしてたのねぇ…」と、
     その人は愛おしい気持ちいっぱいに、足の裏を撫でたそうです。




生後4か月半のミライ


     
     不思議なポーズで眠る、うちのお嬢さん。
     (巻きグソ尻尾を脚の間に挟んでいますぞ)

     キミの足の裏は柔らかい。
     それは、とても幸せである事の証でもあると思う。
     

永遠に近いもの

16歳のふみ



     ふみの姉妹猫・ヒロが、急性腎不全で逝った2000年4月
     (11歳の誕生日の4日前でした)。
     
     避妊・去勢手術の普及、動物医療の進歩に伴い、
     ご長寿ペットが増えてきた、既にそういう時代ではありました。

     それでも、限界はあるのだと痛感します。
     
     むしろ、長生きする分だけ、“闘う”ものも増えてくる。
     人間も、加齢とともにあちこち、身体に支障が出てきますね。
     動物も、心臓や腎臓が悪くなり、癌の発症率も高くなるようです。

     だから、ふみに対しては、日々、
     ある程度の“覚悟”ができているつもりでした。

   
     もともと心臓のよくない猫が、婆さんになった訳ですから、
     部屋に戻った時、「生きているふみ」に逢えない、
     その状況を常に考えつつ、職場と部屋を往復していました。

     そんな風に覚悟する一方で、競馬やポケモンスタンプラリーに
     夢中で出かけていた、自分に甘い飼い主(パートナー)です。


     

寝落ち…



     “永遠”というものは、存在しない。
     信じてもいいけれど、それは幻想にすぎない。
     ―― 20代の頃、よく話し込みましたね。
     青臭い議論のようだけど、それこそ
     “永遠のテーマ”じゃないかなあ。

     
     何年経っても、いくつになっても考える“永遠”です。


     幻想であっても、“永遠”は存在するんだよ。
     ―― 20代の時に落ち着いた、結論です。
     確かに、理想と同じように、“永遠”は存在しない。
     でも、『永遠に近いもの』は在るんだよ。

     


ちびと黒絵



     “永遠”を感じるその時間を、ずっとずっと繋げていったら、
     それが、ほぼ“永遠”ってものになるんじゃないか?


     ふみが生き抜いたこの部屋で、
     「こんな時間がいつまでもいつまでも続いてほしい」
     数えきれないほど、幾度もそう願ってきました。

     ささやかな願いのようでいて、実は
     途方もなく遠大な野望なのかもしれません。
     捨てる気ないけど。



     外の猫たちは、一瞬一瞬を必死に生きていて、
     「“永遠”なんて、悠長なこと言ってんじゃねぇぞ」
     と叱られそうです。
     護れない命が、たくさんありすぎる…


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