文世さんに逢いたい

「婆猫ふみちゃんのスローライフ」を綴りたくて、 2004年から始めたブログですが、
ふみは2009年3月に19歳10か月で逝きました。

高齢猫

大島弓子とグーグー



2005年6月17日



    大島弓子の『グーグーだって猫である』は、
    コミックの文庫版を3巻まで買って、
    その後発行されたものには手をのばさないままだった。
    
    単行本として出るまでにけっこう時間がかかり、
    各巻の「あとがきマンガ」でも、
    作者がそういう状況を詫びているくらいなので、
    「いつか出るだろう」「いつか読めるだろう」と、
    こちらも、のんびり構える態勢になっていた。

    ファン歴が長くなると、みんな気が長くなるもんだ。





50時間失踪から1か月



    ただ、シニア猫になっている筈のグーグー(1995年生まれ)。
    彼のシニアライフは気にかかり、
    心の隅でたまに、「どうしてるだろう?」と考え込む。

    2年前、320グラムのミライを迎えてから、
    「毎日がてんてこまい」になってしまって、
    大島家の猫たちの事は、しばし遠いものになっていた。


    大野くんが居ない2度目の大晦日。
    でも、大野くんが無事に暮らしている事が、
    ほぼ確認できた状態だったので、
    1度目よりは悲痛さのない、昨年の大晦日。

    大掃除もせず、ふらふら外出して本屋に入ると、
    探していた本より先に、
    『グーグーだって猫である』の文庫版新刊の背表紙が、
    ぐぐっと目に飛び込んできた。
    そう。ホントに、飛び込んできた感じなのよ。

    指先が、本に触れる前に、予感があった。
    手に取って、本の裏側の解説を斜め読みしたら、
    その巻が「グーグー」シリーズの完結編だという。

    中を開かなくても、解った。
    グーグーは…

    文庫版の後ろの頁だけ読んでみた。
    簡潔な線のマンガと、短い台詞で、
    グーグーの病死が描かれていた。
    あえて、感情を排除した「報告」になっている。

    グーグーは、東日本大震災の翌月に、
    腎臓の病気で亡くなっていた。
    15歳半ではなかっただろうか…







生後3か月

                      生後3か月のミライ。ちょっと凛々しい




    「グーグー」マンガはこれで終わり、となっている。
    私は、グーグーの訃報(3年半遅れ)に触れた後、
    本を棚に戻しながら(買わないのかよっ)、
    ぼんやり考えていた。

    彼女はもう、マンガを描かないつもりかもしれない。

    サバの死後、たぶん
    大島弓子はストーリー漫画を発表していない。

    彼女の砂漠をオアシスに変えた、グーグーとの生活を
    マンガで描いて世に出していた。もっぱら。

    そのグーグーを喪った、彼女の心を想像してみる。

    
    グーグーに次いで、続々と彼女は猫を引き取り始め
    (ペットショップで買ったのは、グーグーだけだと思う)、
    引っ越し先の一戸建ては、9匹の大所帯になっていた。
    
    残された猫たちが居るのだから、
    さすがに、心は砂漠にも荒れ野にもなっていないだろう。
    
    それでも、喪失感の深さを埋めることは難しい。
    「連載終了」は、主役の退場が理由では、もちろんない。


    作者の心から、「描く気持ち」が空へたなびいていく。
    彼女が、猫と暮らした30年近い月日のぶんだけ、
    長く、ほっそりした煙が見えるようだ。



    

歌えない曲が増えていく

16歳になった5月



     11日の夜は、年末年始にタイムスリップしたかのように、
     地元の町は、静かでした。
     灯りは明るくともっているのに、
     どこかガラ~ンとした空気が漂っていて、
     いつも賑わっているお店に入っても、お客さんが数えるほどで…
     そういえば、外を歩いている人自体少なかったですね。

     みんな、祈りを捧げていたのでしょうか…


     仕事から戻っても、部屋でテレビを観る習慣がなくなった
     (地デジ化してないしなあ)私は、
     「今日は『震災の日』というより、『自粛の日』のようだな」
     と、ぼんやり考えていました。

     引き裂かれた人と人、人と動物…




2005年10月9日0時過ぎ


     
     大野くんが戻らないまま3週間が過ぎ、
     11月に入ってしまった頃、
     「もう、焼肉とカラオケには行けないかもしれないな」
     ―― 理性を喪った頭で、ふと現実的に考えました。

     年に数回の、私にとっては贅沢なイベントなんです。

     「願かけの為の○○断ち」とか、“自粛”というものではなく、
     もう、そういう贅沢をしたいと思う気持ちが消えていました。
     実行してもまるで愉しめないだろう事が、わかってしまう。


     焼肉は地元の「○角」ね。
     アンケートに答えて登録しておくと、
     毎年、誕生月に「割引+デザート」の案内ハガキが届くの。

     先週、大野くん宛のハガキが届きました。
     とうとう3月。大野くんが5歳になる3月なんだ。
     (推定で3月23日を大野くんBirthdayとしています)

     ふみの5回目の命日とも重なり、
     先週末は「熊が時季はずれの冬眠に入った」ごとく、
     眠って眠って、起き上がることができませんでした。


     5月には、ふみと私にハガキが届くのよね。
     

     

首輪欲しかった?



     人前で泣く事はしたくない。
     いやいや、独りで泣く事もしたくない。

     “涙活”なんて要らない。

     涙を流すことは、確かに浄化や回帰につながると解っているけれど、
     自分の場合、泣いたらそこで終わってしまう。
     身体と心から、なけなしのチカラが脱けていくんだもの。


     だから、カラオケで自分が泣いてしまうような曲は選ばない。

     
     年々、歌えない曲が増えていく。
     年取って涙もろくなった訳ではなく、歳月と記憶の分だけ、
     以前ならゴキゲンに歌っていた曲でも、
     ある日、涙で歌えないようになっていくのです。


     ふみが亡くなった後、福山雅治の『桜坂』は歌えなくなりました。

     何度かブログで書いているように、ふみは低い声が好きなので、
     よく福山雅治・浜田省吾の曲を部屋に流していました。

     亡くなる前日にも、『桜坂』を歌っていました。

     ふみがアゴを私の腕にあずけた状態で、ずっと。
     あの日、もう時が迫っている事に気づいていたのです。
     臨終の朝より、その一日前のほうがもっと涙を流してた…。



     松任谷由実の『Midnight Scarecrow』
     音痴の私が歌っても、何となく成立する曲(おっと失礼!)で、
     あまり認知度の高くない曲だけど、大好きです。
     ―― 孤独の中のキミへ 失くしたくないキミへ
     もう、歌えないなあ…


     嵐の曲は実は難しいため、カラオケで歌うことはしません。
     隠れた名曲ナンバーも豊富に持つグループです。
     10年あまり前のアルバムに入っている『パレット』が、
     私にとってのたぶん、arashi 第1位。
     想い出を大切にしまうように、閉じていこうとするパレット。
     ―― 閉じたくないんだよ、私は、まださ…
     もう、聴くのもつらいなあ…


     ミライに首輪を着けた時、大野くん、羨ましそうに見てた。
     兄妹おそろいで、あの時一緒に着ければよかったんだね。




14年後のミライの顔かもしれない




     上の写真は、14歳の時のふみ。

     ブログではもっぱら幼少期の写真ばかり載せてるけど、
     冬仕様の毛皮をまとってフクフク育っている、現在のミライ。
     時おり、ハッとするほど、
     ふみに似た表情を見せるようになってきました。



     浜田省吾の『悪い夢』は、自分を慰めるために、
     10代の頃から繰り返し聴き、口ずさんできました。
     時を戻すすべはない。
     悪い夢を見てるみたいだけど。



 

言えなかった言葉を



     ふみに対しては、彼女が14歳になった頃から
     「老い先短い婆さんだから…」と、何かと覚悟はしていたつもり。
     
     が、16歳の時に慢性腎不全で急遽入院という事態には、
     激しいショックを受けてしまい、
     なんなの、結局、猫飼い素人ですやん…


     子供の頃から犬猫が家に居る環境だったといっても、
     殆ど世話を焼いていたのは母だったという現実を、
     自分がだいぶイイ歳になってから理解したのでした。


     19歳になったばかりのふみが癌にかかり、
     20歳間近で逝った事を「大往生だね」と言う人もいます。
     それに対して、無言で返す私は、やっぱり頭が変ですか…

お留守番はいやなの




     悔いも反省もずっと残るけれど、
     大野くんが行方不明になった後、
     ふみと大野くんとでは、異なるところに思い至ります。
     (生い立ちと容貌はともかく、性質は同じなのです)


     ふみには、「ありがとう」と「ごめんね」を云っている。
     大野くんには、それを伝えていないんだ、まだ…




泣かないで



     非常にはずかしい話です。

     3年前、私は、外の世界に出られなくなっていました。
     10年間クリニックに通い、転職と失業を繰り返しながらも、
     どうにか“ぐうたら人生”“困窮ライフ”を送っていたのですが、
     あの時は、ダメでした。
     力尽きたというか、床にただ転がっている、廃材でした。


     どうしても、しばらくは働いていく事ができない。

     その現状に、生まれて初めて、
     役所の福祉課を訪ねました。
     とても勇気の要る行動だっただけでなく、
     外を歩くのが困難になっている精神状態の自分には、
     時間と労力をかなり費やす“訪問”でした。

     いろいろメディアで情報を見聞きしていましたが、
     お役所の対応、あの「水際作戦」は効果的ですね。
     一度行って、門前払いを受けた人間は、
     そうそう再訪する気持ちにはなれないと思います。

     提示した診断書も、私が援けを求める訴えも、
     すべて否定されました。まぁ、表面上はやんわりと。

     その後、自分の状況は好転せず、
     むしろ悪化していくほうだったので、
     3か月後、思いきって、同じ窓口を訪ねたのです。
     行動に移せるまで3か月かかった。
     そう言い直したほうがいいでしょう。
     役所までたどり着くだけでも、当時の限界を超えていた…

     前回、「こういう書類をこんな風に用意すれば…」
     と示唆された通り、改めて書類を整えて行ったけれど、
     やはり、申請そのものをさせてもらえず、
     めずらしく、人前で号泣しました。

     役所からどうやって帰宅したのか、
     途中の記憶がなくなるくらい、ただずっと泣いていました。

     部屋に戻っても、涙が止まらず、思考は停止していて…

     すると、大野くんが私のヒザの上に乗ってきて、
     頬の涙に手を置いて、じっと見つめてくれたのです。




僕がいる




     大丈夫だよ。一緒に生きよう
     ―― そう云ってくれたのかもしれません。


     大野くんに、「ありがとう」と「ごめんね」を云いたい。
     その気持ちが心の底にずっとあって、
     彼の姿を探し求めてきた、この5か月です。


     大野くん…伝えたいんだよ…



桜を見せたかった未来


     出逢いは、2013年5月22日。

     初夏とはいえ、肌寒い風の吹く深夜の公園で、
     その仔猫は懸命に鳴き声をあげていました。


出逢い


     眼が開いているから、生後1か月には達すると思われる。
     でも、左の眼は真っ赤に充血して、殆ど潰れているかのよう。

     この子猫は、とても幸運です。
     何故なら、見つけてくれた人間が、
     ふみを溺愛していた友人だったから。

     
     癌との闘いが終わるまでの半年弱、
     右眼が破裂してしまっていた状態のふみと重ね合わせ
     (前回の日記で、私は左眼と書いています。
      大切なエメラルドの瞳が片方喪われた事には変わりがなく、
      無神経なようですが、左右の記憶が曖昧になっています)、
     友人は、どうしても見て見ぬふりができませんでした。



出逢いから90分後



     1時間半後、公園からひと駅離れたこの部屋に、
     仔猫はやっと落ち着きました。
     
     メシだ、牛乳だ、とオロオロする人間側。
     仔猫の世話をするのは、私も20数年ぶり。
     
     仔猫は、殆ど何も口にしようとはせず、
     ひたすら眠り続けていました。
     今思うと、安心して眠る事が、
     この時、仔猫が最も求めていた幸福だったのでしょう。



4日目のミライと大野くん



     ふみも大野くんもお世話になっている動物病院で、診察を受け、
     「左眼はウィルス感染症によって充血しているだけで、
      先天性のものではない。点眼と抗生物質で治る」ことが判りました。

     実際、治療を始めると、みるみる元気になり、
     部屋に来た3日後にはもう、大野くんと対等に(笑)
     じゃれ合うようになったのです。


こいつ、何なんだ…?



     わずか500グラムほどの小さい身体で、動き回る怪獣。
     率先して保父さんになってくれた大野くんも、
     戸惑いを隠せないことがしょっちゅう。



名前はミライ



     小さくて可愛い怪獣は、ミライと名づけられました。
     「大野くんと仔猫、みんなの未来を願って」
     保護主である友人の希望でした。


     名前を決めた時、すぐに思い出したのが、
     昔好きだった、サクラミライという馬のことです。
     友人と共に応援していた牝馬でした。



     『桜を見せたかった未来』




中山競馬場正門




      3月7日に癌との闘いを終えた、ふみ。
      桜を一緒に見たかったのです。

黄金のクロス


     11か月ぶりに、婆猫ふみちゃん(文世)の登場です。
     ちょっと怖いかなぁ、氷河の冷気を感じさせる…
     昨日の吹雪の様子に合っていて、いいか?
     (これは、ふみを溺愛していた友人の作品です)


19歳の決めポーズ





     バースデー写真は、これが最後の一枚となりました。
     この時点で既に、ふみの左眼の上では、癌細胞がうごめいていた訳です。
     私たち人間が、その事実を知ったのは、3週間後のことでした。




問いかけるポーズ





     仔猫の時から「可愛い カワイイ」とだけ言われて
     (容貌以外だと難点のほうが多かったため )
     育ったふみは、自分を愛らしく見せる(魅せる)術を、
     自然と身につけていったようです。

     どうやったら、“おねだり”が通るか?

     地声は無用に長いダミ声なのに、
     きめる時は、松田聖子っぽく、短い「アンッ♪」。

     概ね、寝そべっている時以外は、
     前脚を揃えた姿が猫の定番でしょう。

     ふみ婆さんは、きめる時はその前脚を
     Xの形に交叉させるのです。
     残念ながら、肝心な写真がないのですが、
     私たちは『黄金のクロス』と呼んでおりました。     

     
     2009年9月、癌細胞の増殖でついに左眼は破裂。
     ふみが可愛い事に変わりはなかったけれど、
     その日から写真を残すことはやめました。


     でも…ふみは、どんどん身体の機能が損なわれていきながらも、
     ごく、たま~に『黄金のクロス』を披露してくれました。
     癌細胞に脳を圧迫される為、平衡感覚が崩れているんだけれど、
     精一杯、おねだりのポーズをとってくれたのです。


     



美猫らしいぞ



     一方、現在部屋に君臨するミライは、がに股です。
     
     仔猫は20数年ぶりだったので、
     はじめの頃は判らなかったけど、やがて
     「…こいつ、がに股だ…」と気づきました。
     “O脚”というより、ハッキリと“がに股”です。




がに股矯正





     現在、生後9か月半。
     ちょっとだけ、前脚も揃うようになりました。
     まぁ、ミライのチャームポイントは、
     “巻きグソ尻尾”ですしね。 




追記:昨日の大雪で気が狂わんばかりに
    (既に頭はおかしい)大野くんの事を考え、
    身動きがとれないでいる状態を憎みました。
    頼むから、家猫・飼い猫になっていてくれ…
    大野くん、すまない…

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