ふみに対しては、彼女が14歳になった頃から
「老い先短い婆さんだから…」と、何かと覚悟はしていたつもり。
が、16歳の時に慢性腎不全で急遽入院という事態には、
激しいショックを受けてしまい、
なんなの、結局、猫飼い素人ですやん…
子供の頃から犬猫が家に居る環境だったといっても、
殆ど世話を焼いていたのは母だったという現実を、
自分がだいぶイイ歳になってから理解したのでした。
19歳になったばかりのふみが癌にかかり、
20歳間近で逝った事を「大往生だね」と言う人もいます。
それに対して、無言で返す私は、やっぱり頭が変ですか…
悔いも反省もずっと残るけれど、
大野くんが行方不明になった後、
ふみと大野くんとでは、異なるところに思い至ります。
(生い立ちと容貌はともかく、性質は同じなのです)
ふみには、「ありがとう」と「ごめんね」を云っている。
大野くんには、それを伝えていないんだ、まだ…
非常にはずかしい話です。
3年前、私は、外の世界に出られなくなっていました。
10年間クリニックに通い、転職と失業を繰り返しながらも、
どうにか“ぐうたら人生”“困窮ライフ”を送っていたのですが、
あの時は、ダメでした。
力尽きたというか、床にただ転がっている、廃材でした。
どうしても、しばらくは働いていく事ができない。
その現状に、生まれて初めて、
役所の福祉課を訪ねました。
とても勇気の要る行動だっただけでなく、
外を歩くのが困難になっている精神状態の自分には、
時間と労力をかなり費やす“訪問”でした。
いろいろメディアで情報を見聞きしていましたが、
お役所の対応、あの「水際作戦」は効果的ですね。
一度行って、門前払いを受けた人間は、
そうそう再訪する気持ちにはなれないと思います。
提示した診断書も、私が援けを求める訴えも、
すべて否定されました。まぁ、表面上はやんわりと。
その後、自分の状況は好転せず、
むしろ悪化していくほうだったので、
3か月後、思いきって、同じ窓口を訪ねたのです。
行動に移せるまで3か月かかった。
そう言い直したほうがいいでしょう。
役所までたどり着くだけでも、当時の限界を超えていた…
前回、「こういう書類をこんな風に用意すれば…」
と示唆された通り、改めて書類を整えて行ったけれど、
やはり、申請そのものをさせてもらえず、
めずらしく、人前で号泣しました。
役所からどうやって帰宅したのか、
途中の記憶がなくなるくらい、ただずっと泣いていました。
部屋に戻っても、涙が止まらず、思考は停止していて…
すると、大野くんが私のヒザの上に乗ってきて、
頬の涙に手を置いて、じっと見つめてくれたのです。
大丈夫だよ。一緒に生きよう
―― そう云ってくれたのかもしれません。
大野くんに、「ありがとう」と「ごめんね」を云いたい。
その気持ちが心の底にずっとあって、
彼の姿を探し求めてきた、この5か月です。
大野くん…伝えたいんだよ…