亡くなった弟の夢さえ、この数十年で3回あるかどうか。
特に、ここ10年は薬に頼っているせいで、
夢そのものを見なくなっています
(薬なしで眠った場合は、残酷で怖い夢を見てしまう)。
薬の副作用というのも、当然あるもんで、
勢いつけて起床・身支度を済ませ、電車に乗ると、
その後はお昼まで、断続的に睡魔と闘う事になります
(起きている間は、ずっと眠いのが私の人生です)。
だから、昼休みのチャイムが鳴るとすぐ、
ご飯を食べるよりもまず、机の上で寝ちゃう。
首・肩こりを考えたら、非常に良くない姿勢なんだけどね。
机の上に直に頭を着けるのではなく、
高さ・硬さが適度なクッションに突っ伏していると、
夜の就寝時よりスピーディーに寝落ち…
大野くんが行方知れずになって10日経った時、
その昼寝の間に、大野くんの夢を見ました。
大野くんが帰ってきた夢でした。
目覚めた時、胸が痛くてしかたなかった。
何故なら、それは良い兆しではないから。
小・中学生の頃、
「帰ってこなくなった」猫が自分の夢に出てくると、
それは、「別れの挨拶」のようなものだったのです。
あの当時、必死に探すことはしなかったな…
「大野くん失踪」を報告する形で、
このブログを更新した時、心の奥深いところで、
密かに怯えていました。
できるだけ考えないようにしていたけれど、
見てしまった夢に、前へ進めなくなる。
ブログで皆さんに励ましてもらい、
地域の猫好きさん達に協力をお願いしながら、
いろんな時間帯、いろんな道を歩きました。
そして、もう一度、大野くんの夢を見たのです。
今度は、職場の机の上ではなく、自分の部屋。
真っ暗だったから、昼寝やうたた寝ではない。
「今日も会えなかった…」
そう落胆したまま寝つき、未明に見たのだと思います。
ぼんやりしていたけど、大野くんの顔と姿が在りました。
どう解釈すべきかわからないけれど、
その二度目の夢のおかげです。
私が絶望せずに、まだ追いかけていられるのは。
「僕は、よその家のコになったよ。
だから、心配しないで」
そう言いたかったのかなぁ…
大野くんが、別の場所でほかの人に可愛がられている
―― そう想像することは、私の心をつかの間
穏やかにしてくれます。
でも、それも“逃避”のように思える、まだ今は。