新年0時を路上で迎えた時、
真っ先に思ったのは、
外で生きる猫たちの事だった。
「念」が使えたらいいのに。
大野くんの捜索をしている頃から、
心底願うようになった。
深夜から朝までの、せめて6時間、
温かい「ハウス」を造り出したい。
そこで猫たちがぬくぬく眠れるよう。
その「念」を捻り出す代償が、
己の寿命である事は当然構わない。
地域猫たちは「一代限りの命」と言われる
(実際はそこを擦り抜けるからいいと思う)。
自分も、一代限りの命だ。
世の中で何も創り出さず、産み出す事なく、
世の中に何も遺さないで消えてゆく。
念が使えたら、力を捻り出せたら、
寿命と引き換えにいくらでも援けたい。
そこに、偽善はないと、
自分では思っている。