人類は、あまりに多くの時間を、
ネコのためにドアを開けたり閉めたりする事に費やしてきた
このブログで何度か取り上げている、
ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』の冒頭の一節です。
文庫本で初めて読んだ19の時、
この一節にひどく惹きつけられ、「うん、うん!」と頷きました。
「そうなんだよなあ…ネコってやつは、もう」
猫が家の室内外を自由に行き来していた、自分の10代。
あの頃を振り返って、「旧き良き時代」というように
感じてはいません。正直なところ。個人的に。
当時から、猫に対する苦情はありましたよ。
現在より、直球でやってくるのが、新旧の差かな?
鳴き声で外出希望を訴えるコ。
無言でドアやガラス戸の前に座って、アピールするコ。
そして、扉の開放が必ずしも、外出につながる訳ではない猫たち。
ただ、外を眺めたいだけだったり、
外気に触れた途端、お散歩気分がそがれてしまったり。
その度に「え~出るんじゃないの?じゃ閉めるからね」と、
人間は文句を言い、詫びの一つもなく立ち去る猫。
それはまだ楽なほうで、「しばらくこうしていたいの…」という場合は、
人間もある程度、出入り口近辺で猫につきあわねばなりません。
面倒くさがりで腰が重い人間なのに、
彼らの要求にはたいてい屈してしまっているのです。
いやはや。ネコってやつは、人間の扱いをよう心得てます。
ふみが、「このまま、しばらくこうしていたいの」というタイプでした。
ベランダまで出て、それ以上は動き回らない。
彼女がその視線の先に見ていたものは、何だったんだろう。
大野くんも、活発なキジトラながら、性質はふみとほぼ同じなんです。
内弁慶だから、ベランダの内側という“安全圏”で、外気を愉しむ。
今、完全室内飼いが、猫と暮らす人々の間では主流のようです。
大野くん探しの過程で、知り合った猫好きさんは、
ほとんど完全室内飼いのスタイルを定着させていました。
苦情と、猫自身への危険を避けるために。
時の流れとともに、人と動物を取り巻く環境は大きく変化しています。
5月に入って、踏み切った、黒絵の完全室内飼い。
黒絵が外の世界に出ないまま、1か月が経ちます。
長かったような、あっという間だったような…
でも、まだ闘いは続くので、
黒絵はもちろん、ミライにも辛抱してもらいます。
黒絵の出入り口だったガラス戸を、完全に閉めた。
あの窓は、大野くんの帰りを待つために、
ずっと、開け続けていた空間なのです。
そこを、閉じなければならなかった…
無念だ…
ただ、大野くんを待つことをやめたんじゃないよ。
この気持ち、地面を駈けて、大野くんに届け――