ふみの日(実は卯月2005)


  ふみが逝った後、
  年賀状はもう4年出していません。
  (特に“長き喪中”という意味ではなく)

  送ってくださった有り難い方々に
  「寒中見舞い」や「余寒見舞い」で、
  お返事するという形になっています。
  すっかりこの姿勢で落ち着いちゃったなぁ。
  年賀ハガキ自体、買わなくなったしね…

   いや、実は、
    今年はお返事すら怠けてるのよ…
    ごめんなさい。

  携帯・PCメールが普及しきった今でも、
  手紙を書くことはよくあります。
  十代の頃から、字を書くことが好きなので、
  自分のPCを持つ前までは、
  日記も手書きでした。

  “筆まめ”とは到底言えないながら、
  手紙を書くのには、「昔からの習慣」以外に、
  けっこう「相手に喜んでもらえる」という
  理由があります。

  私の字は、かなり見やすいらしいのです。
  女性からは「きれいな字だね」と
  言われることも少なくありません
  (男性ウケする字ではないらしい…)。
  “褒め言葉”を絶対信じない私でも
  (褒められる事自体、滅多に無いけど)、
  文字に関してだけは、素直に受けとめられます。

  歩く事、アイスクリームを食べる事のほかは、
  すべてにおいてスローテンポなため、
  文字もゆっくりのったり書いてます。
  流麗な文字というのでしょうか、
  ああいう風には絶対できない。手がそう動かん。
  だから、案外ひとつの手紙に時間はかかります。

  しかも、長文になりやすいんですよ、自分の場合。
  それで手書きだと、指のマメが痛くなるのは当然か。
  その点、メールだとかなり楽であることを実感して、
  この9年の間は、大半をe-mailに頼っておりました。

  ただ、意識して、一昨年あたりからできるだけ
  手紙を書くようにしています。

  毛筆はともかく、硬筆は限界がいずれ来るだろうと
  考えます。自分の場合、首こり・肩こりで
  字を書きづらくなっている実状があるので、
  「書けるうちに、今のうちに」という気持ちが
  働いているのでしょうか。

  昨夏、パニック障害(土台は持病の鬱)を発症して、
   手が震えるようになって困りましたよ(苦笑)。
   炊事(包丁使い)・仕事(手書きは避けられない)、
   そして「手紙を書く」こと。


  劣等感の塊である私は、
  せっかく褒めて頂く字に対しても、
  「結局、個性も能力も無いって事なんじゃない?」
  と、卑屈に考えてしまいます、どうしても。
  (更に、今の時代、直筆は評価の対象外ですしね)

  ただ…文字は、確実に「自分の分身」と感じてもいる為、
  今後も、誰かに届け続けたいと思います。
  字が歪んでても、どうか赦してなぁ~


  追記:同じ言葉でも、手紙と会話だったら
      どっちがグッと心に来ますか?
      切ない結論だけど、
      やっぱり直接、人の口から出た言葉が
      “最強”(場合によっては、最凶)
      なんじゃないかなぁと、うなだれてます。