ふみの姉妹猫・ヒロが、急性腎不全で逝った2000年4月
(11歳の誕生日の4日前でした)。
避妊・去勢手術の普及、動物医療の進歩に伴い、
ご長寿ペットが増えてきた、既にそういう時代ではありました。
それでも、限界はあるのだと痛感します。
むしろ、長生きする分だけ、“闘う”ものも増えてくる。
人間も、加齢とともにあちこち、身体に支障が出てきますね。
動物も、心臓や腎臓が悪くなり、癌の発症率も高くなるようです。
だから、ふみに対しては、日々、
ある程度の“覚悟”ができているつもりでした。
もともと心臓のよくない猫が、婆さんになった訳ですから、
部屋に戻った時、「生きているふみ」に逢えない、
その状況を常に考えつつ、職場と部屋を往復していました。
そんな風に覚悟する一方で、競馬やポケモンスタンプラリーに
夢中で出かけていた、自分に甘い飼い主(パートナー)です。
“永遠”というものは、存在しない。
信じてもいいけれど、それは幻想にすぎない。
―― 20代の頃、よく話し込みましたね。
青臭い議論のようだけど、それこそ
“永遠のテーマ”じゃないかなあ。
何年経っても、いくつになっても考える“永遠”です。
幻想であっても、“永遠”は存在するんだよ。
―― 20代の時に落ち着いた、結論です。
確かに、理想と同じように、“永遠”は存在しない。
でも、『永遠に近いもの』は在るんだよ。
“永遠”を感じるその時間を、ずっとずっと繋げていったら、
それが、ほぼ“永遠”ってものになるんじゃないか?
ふみが生き抜いたこの部屋で、
「こんな時間がいつまでもいつまでも続いてほしい」
数えきれないほど、幾度もそう願ってきました。
ささやかな願いのようでいて、実は
途方もなく遠大な野望なのかもしれません。
捨てる気ないけど。
外の猫たちは、一瞬一瞬を必死に生きていて、
「“永遠”なんて、悠長なこと言ってんじゃねぇぞ」
と叱られそうです。
護れない命が、たくさんありすぎる…